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伝わりやすい文章、美しい文章を書くために、何よりも必要なのは語彙力だ。

豊かな語彙がなければ、言いたいことを的確に表すための適切な言葉を選ぶことができない。「すごい」「かわいい」「ひどい」などの、手垢にまみれた抽象的な言葉ばかりが並ぶことになる。

「てにをは」や文法も大事だが、それよりまず、自分はできる限り適切な言葉を選んで文章を書くのだ、という強い想いと、それを可能にする語彙こそが、優先されるべきものだとぼくは思っている。選択する言葉の絶対数が少なければ、どれだけ非凡なアイデアを思いついても、どんなに美しい風景を思い描いても、そのすべてをありのままに書き表すことができない。結局言いたいことが言えないのだ。

語彙を身につけるのは簡単で、辞書を引くクセをつければいい。

芥川賞作家の平野啓一郎さんも、「読書のときだけでなく、人との会話やテレビで耳にしたような単語であっても、知らないものはあとで必ず辞書を引く。(中略)無理にボキャブラリーを増やそうとしなくても、自然と身についていくものである」と言っている。(引用:『本の読み方 スロー・リーディングの実践 (PHP新書)』平野啓一郎

辞書を引くようになると、ふだんぼくらが、意味を正確に把握していない言葉をどれだけ放置して、推測で文章を読んでいるのか、そして自分で書く際にも、よくわかっていない言葉を惰性で用いてしまっているのか、というのが、よくわかる。

今はスマホアプリがあるから、重く大きく分厚い辞書の中身をどこにでも持ち運べる。

ぼくはiPhoneに「大辞林」のアプリを入れてから、意味が曖昧な単語に出会ったら必ず調べるクセがついた。まだ効果が出てるとは言えないかもしれないが、そうやって語彙が増えている実感があると、適切な言葉を選ぼうとする意思もまた日々増強されているような気がする。

辞書の最高峰といえば広辞苑、というイメージがあって迷ったのだが、調べてみると、大辞林も決して劣るものではないということがわかった。

広辞苑は歴史主義、大辞林は現代主義、と言われるそうで、ぼくはMacのATOKに広辞苑を入れてずっと使っていたんだけど、たしかに広辞苑は言葉のルーツや背景は伝わってくるものの、意味合いは古めかしく、ぼくらが今使っている意味が抜けていることもしばしばだった。

対して大辞林は、古くから使われる意味や語源も残しつつ、より現代の使い方に合致しているようだ。もちろん小説や論文を書くほどに言葉と真摯に向き合うならば、複数の辞書を引きくらべたほうがいいだろう。作家の三浦しをんさんは5種類の辞書を使うという。

ということで、前置きが長くなったが、iPhoneの「大辞林」アプリを紹介する。

さっと起動して、さっと調べられる。

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▲ 基本の検索画面。アプリを開いたら素速く検索できる(要設定)。

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▲ 「淫靡」とは、節度がなく、みだらでくずれた感じのする・こと(さま)。字面からしていやらしい。

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▲ 同じ開発者の「角川類語新辞典」と「ウィズダム英和・和英辞典」も入れているので、調べた単語をそのまま他の辞書で調べることもできる。

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▲ 一瞬で「角川類語新辞典」アプリに飛ぶ。淫靡を言い換えると、安っぽくて、物欲しそうで、卑猥。どうしてくれよう。

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▲ 読めない漢字は、手書き入力で調べることができる。「鋳型」って「いがた」って読むんですね。子どもの頃「羞恥心」を「さちしん」て読んでましたよオホホホホ。

インデックス画面で、擬似辞書ペラペラ

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▲ この辞書アプリが素晴らしいのは、インデックス機能を使えば、辞書を「調べる」だけでなく、目的なく「読む」こともできる、というところ。

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辞書って、ヒマなときにページをペラペラめくって目についた言葉を読むのも楽しいんだけど、アプリだと基本的にそれができない。けれどインデックスを使えば、指先でさーっとスクロールして、単語を眺めることができる。「言葉に出会う」楽しみがある。

もちろん書籍版のように、隣の単語や同じページの単語を読んで進める、なんていうことはできないけれど、あくまで擬似的にせよ、そういう楽しみ方ができるのは嬉しい。ヒマなとき、ついSNSを眺めてしまいそうになったら、これをさーっとやることにしている。

 言葉を見つめなおす機会が生まれる辞書

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かつて広辞苑は、重くて大きくて、本当にいざという時にだけ、親父の書斎に忍びこんで勝手に拝借して使う、というものだった。それが今や、より現代的でわかりやすい「大辞林」が、日々持ち歩くスマホに入って、いつでもさっと使えるのだから、いい時代になったものである。いつの世でも、男の子がまずはじめに調べるのは、淫靡なものであるのは変わらないはずだが。

辞書という存在は、意識していないときはまったく生活には必要のないものに思えるが、一度日用の友となると、なくてはならないものになる。ブロガーやライターなど文章を生業にする者はもちろんのこと、これからの一億総発信者時代においては、誰にとってもあらためてより必要なものになっていくんじゃないだろうか。

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