思考する──って、三種類に分かれるんだよね。
反応と、想像と、観察──。
で、ちゃんと思考できるのって、じつは観察だけなんだな。
真剣に思考してるようでも、じつはただ感情的に反応したままに慌ててあれこれ思考が暴走してるか、わかんないことを勝手に想像して信じこんじゃってる。
だから、見えないものを見ようとしない。望遠鏡を覗きこまない。
BUMP OF CHICKENの〈天体観測〉も、象徴的に読んでみると、そういうことか──ってなんとなくわかるよ。
あれ、「イマ」というほうき星探してんだからね──想像とか反応とかじゃなくて。
頭がいい人や、頭がいいとき(人は誰しも頭がいいときとわるいときがある)に、冷静にしている思考は、観察──。
ありのままの現実、現状、わかることだけを観て、そっからどういうことなのか(理)と、どうしたらいいのか(道)を見つけて、それをやる──うまくいく、という理。
反応と想像ってのは、──うわ、熱あるやん!コロナかもしれない!来週大事な予定があるのに!キャンセルできないだろ!迷惑かかるなー!でも熱さえ引けば黙ってればいいかな?でも感染っちゃうかな?ヤバいかな?検査キットあったっけ?ああ、あいつが持ってたな!どうやって手に入れよう……と、延々と、無意識に、オートマチックで反応したままに想像して暴走してる思考のこと。
観察は、──うわ、熱あるやん!コロナかもしれない!来週大事な予定があるのに!キャンセルできないだろ!ん……、
待てよ、おお、おれ一瞬テンパってたな笑、うん、コロナかもしれないけどまだわかんないな。そうだったとしても、迷惑かかるかもしれないけど、まあ大丈夫だろう、とりあえず様子見よう、いまはまだなにもわかんねえもんな、水でも飲むか──、って、自分の感情の動きも含めて、他人事のように観察者(オブザーバー)が観ている思考のこと。
まずは見えることだけ見ようぜ。望遠鏡で見えない遠くを見ようとしないこと。