このまえ、〈VIVANT〉の特番を見てたら、ニノが、
「役所広司さんていう、お芝居の神さまみたいな人が、ボクらがセリフを噛むとめちゃめちゃ喜ぶんですよ、それ以外はとてもいい人なんですけど……」
って、いつものようにニノらしいステキな愛嬌で文句を言ってて笑いました。
それを聞いてから本編の役所さんの演技を見てたら、たしかにちょっと次元がちがうというか、ああ、マジこの人お芝居の神さまなんだわ、って唸らされて、だんだん、あまりのスゴさに笑えてきちゃった。
そういや、──人はみんな神さまなんだよ、って誰かが言ってたなあ。
マイケル・ジョーダンはバスケの神さまだし、サッカーはジーコだし、ギターはクラプトン?ジミヘン?──
人間とは思えぬ、抽んですぎた人は神と呼称されてきたわけで、ああ、関羽雲長なんか神さまになって中華街に祀られてるもんね。そもそもブッダやキリストだって、ブラブラブラ……。
そんなこと考えながら、アン🐕🦺と散歩してたら、だんだんみんな神さまに思えてきてね笑。
まず、アンはエナジーの神さま、これはまちがいない。
こんな元気な犬は他にいないよ笑。大型犬のくせにオテンバで、いつまでもウンコ食いやがって、走りまわる、泳ぎまわる、暴れまわる。
いつも預けてるドッグラン&ホテルのスタッフさんに毎週笑われるくらいクソ元気なこいつが、朝晩のエネルギッシュな散歩におれを連れ出してくれなかったら、おれはこんなに元気になれなかったもの。
──だからこいつはおれにエナジーを循環させてくれる神さま。
他にも、そうやってまわりの友人知人を眺めてみると、ああ、あいつは音楽の神さまだな、とか、あいつはお金の神さまだったのか、とか、あの人はロジックの神さまだわ、とか、あの人は大人の女性だけど、実際のところは男性性の神さまだな、とか、みんな神さまに見えてくる。
で、そんな神さまの共通点は、──みんな、ただそのままの姿を見ているだけで、何かをくれる、もらえる、ということ。
たとえば、スゲー音楽の才能と素養と慧眼のある友だちがいるんだけど、あいつが唄ったり弾いたり話したりしてるのを聞いてる、見てる、一緒にいるだけで──音楽についてのいろんなことがだんだんわかってくる。
へえ、おれの知らないこんなことやってるんだあ、こんな風に捉えてるんだあ、こんな景色を見てるんだあ──と、知らなかったことがどんどん入ってくる。
だからさ、おれたちの生きる世界には、いろんなことを教えてくれる、見せてくれる、与えてくれる神さまがいっぱいいたんだね。
おれの親父はね、おれにとってセンス(感性)の神さまだったな──。同時に、センシティブ(神経質)の神さまでもあった。
だからそれを見てきたおれは、──感性を大事にしよう、でもほどほどにしよう笑、ということを教えてもらったよ。
だから、神さまはいいところもわるいところも教えてくれるし、ムカつくやつとか、嫌いな人だって、自分のそういうところを投影して見せてくれる神さまだったりさ。
いずれにせよ、──自分の心が開いていないと、誰かの神さまなところは見えないし、気づかないし、もらえないみたい、おれもそうだった。
ちなみに、〈VIVANT〉と同じくらい毎週チェックして見てるのが〈ハヤブサ消防団〉。
はーちゃんも可愛いんだけど、山本耕史さんが演じるちょっと身勝手でおっちょこちょいながらバイタリティ溢れる編集者のキャラに惚れちゃって、毎週大爆笑してます。
山本耕史さんは、──開いている神さまですね。
彼は、他者にも、やりたいことにも、仕事にも、好きなことにも、愛する人にも、いろんなことに対して開いているから、いろんなことがスキルアップして、いろんなことができて、ステキなエナジーとバイタリティに溢れてる。
トレーニング好きの山本さんの理想の体型って、キン消しなんだって笑。即答してた。──開いてるでしょ?
笑えて、気持ちよくて、すんげーバイタリティもらえます笑。
きみは何の神さまだい?