すこしのテレビは良薬だって言うから、僕はテレビを見ないのをやめた。

TV
TV / pixculture
何年か前からあまりテレビを見なくなった。

日常のすべての時間を夢や目標に向けた行動に使うと、自然とテレビを見る時間はなくなっていくのだが、昨今は以前にも増して、世間的にも「テレビは低俗で学ぶものがないから見るべきでない」という風潮が広まっている。

だけど最近、僕はあえて、すこしだけだけれど、テレビを見る時間を用意している。

すこしのテレビは良薬。

Tv beach
Tv beach / fekaylius
今年は、毎日たくさん睡眠をとって起きている時間はすべて夢に向けて突っ走ろうという作戦だったのだが、いかんせん会社業務が時間・内容ともにハードになってしまい、夜は疲弊しきってしまって何もできないことが多くなった(2013年も4分の1が過ぎたところで、心と体がガチガチになってきたので生活を見直してみた。 | KLOCKWORKs)。

疲れているときは、時間が早くてもすぐに寝てしまおう、という取り決めにしているのだけれど、疲れすぎていると目が冴えてなかなか眠ることができないものだ。

そこで最近、ルーチン・タスク管理をゆるめたのを機会に、夕食後の少しの間、家族とソファでテレビを眺めてみることにした。

すると、緊張していた疲労が心地よい重みとなって体にのしかかってくるではないか。瞼がゆったりと重くなり、眠りへと誘われる。寝てしまいたい……いや起きなくては……まあいいじゃないか……zzzzz。

そのまどろみは、ここ数ヶ月で、もっとも気持ちのいい時間だった。

流れゆく車窓からの風景としてのテレビ。

train window
train window / rachel in wonderland
そういう意味では、テレビは電車の車窓に似ている。旅行などで、とりとめもなく流れる風景を見るともなしに見ているうちに心がゆったりとリラックスしていくのと同様に、心をどこかに固定しないでテレビを眺めていると、心身から力が抜けていく。

以前も、テレビをまったく見ないわけではなかった。サッカー番組やNHK特番、情熱大陸やアナザースカイなんかは録画してまとめて見ていたのだけれど、それらはどちらかというと娯楽というよりは人生の勉強やモチベーションキープのためのタスクになってしまっていたので、だんだん楽しくなくなってしまっていた。

瞑想はもっと意識的に脳の整理をしようとするものだけれど、テレビはリラクゼーションとしては瞑想に似たような感覚が得られるかもしれない。

日常のすべての時間を、夢や目標から逆算したタスクのために使っている人には、すこしくらいのテレビは良薬ではないだろうか。

低俗で無責任でどうしようもない笑いもいいもんだ。

Laughing at the Beach
Laughing at the Beach / craigallyn
ひさしぶりにバラエティ番組を眺めていたとき、疲れきっているにもかかわらず大声で笑ってしまう場面があった。自分の笑い声のヴォリュームに驚きながら、こんなに大きな声を出して笑ったのは久しぶりだなあ、としみじみしてしまった。

家族や友人たちとすごす中で溢れる微笑とは別の、低俗で無責任でどうしようもない笑いが、ガチガチになった僕の心身を解きほぐしてくれているのがわかった。く、くだらねえwwww、という。

だからというわけではないけど、最近は松ちゃんがえぐる深い笑いよりも、たけしのくだらない話のほうがしっくりくる。こうやって人はオヤジギャグに呪われていくのだろうね。

インターネットやデバイスの普及で、個々人が欲しい情報を個別に選択する時代になった。そこにはこれまでにない効率と利便性があるけれど、即席の劣悪な楽しみを求めてチャンネルを切り替え続ける楽しみはなくなってしまった。

そればかりではどうしようもないが、バーを何軒もハシゴしたくなる夜があるように、たまにはテレビを眺めてみるのも悪くないんじゃないだろうか。

この記事を書くにあたって、高校生の頃、親父の書棚で見つけて読んだ『テレビジョン』というフランスの小説を思い出した。テレビを見ることをやめた男のひと夏の不思議な物語だ。表題どおり、ずっとテレビを見るか見ないかでうだうだしているヘンな小説なんだけど、やたらと心に残る。テレビに飽きたら、ぜひ読んでみてください。

即席の劣悪な楽しみを求めてチャンネルを切り替え続け、虚しい高揚、際限ないいたちごっこに陥りながら、さらになお低俗さ、うら寂しさを求めて止まないのだった。
___『テレビジョン』 J・P・トゥーサン

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