蒸し暑い午後、退屈から逃れるように喫茶店へいく。
甘いものがほしかったが、これといったケーキやデザートが見あたらないので、いつものコーヒーフロートを注文する。
読みかけの本が三冊。ちょっと迷って、なんとなくヘミングウェイの〈清潔で、とても明るいところ〉を読みはじめた。
暗いが淡々と展開するその短編に、すぐに夢中になった。
話の内容が、最近気になっていたことや身のまわりのできごととなんとなくリンクしているように感じたのだ。
だがそれも束の間──となりのテーブルのおばさんの話し声がやたらと大きく、いちいち物語から引きはがされてしまう。
しばらくガマンしていたけど、うるさいのでイヤホンで耳を塞ぐ。
僕の大きめの耳の穴にもジャストフィットするように見つくろった〈コンプライ〉というイヤチップを使っているので、音楽をかけなくてもたいていのノイズはこれでキャンセルできる。
コーヒーフロートが運ばれてくる。僕はいつも少しだけ迷う。
はじめにアイスクリームを食べてしまうか、少しずつ食べながら溶かしながら飲むか。
はじめに食べてしまえばただのアイスコーヒーだし、溶かしながらだとアイスクリームがなくなってしまう──なんて中途半端な飲物なんだ、とかなんとか。
甘いものを欲していたので、そのときはアイスクリームをすぐに食べ終えてしまった。残ったのは濁った色のコーヒーフロートの残骸だ。
おばさんの騒音じみたバカでかい会話はまだ続いていた。コンプライで耳を塞ぐくらいではどうしようもなかった。しょうがなく僕は音楽アプリをタップした。
シャッフルでマイルス・デイヴィスが流れはじめると、ああ、なるほど──いろんなことが繋がっているのを感じた。その曲は僕と短編を繋げ、また僕は物語のなかへ戻っていった。
〈清潔で、とても明るいところ〉に出てくる老人は一人寡黙にブランデーを飲みつづけていたが、隣のおばさんは同じ単語を大声で、まるで僕に強調するかのように、くりかえした。
僕はいらだちを通りすぎて、少し呆れて苦笑していたが、そのうち、おばさんはかなり高齢の老婆なのだと気がついた。
耳が遠くて、声がデカいのだ。伝えたくて、何度もくりかえすのだ。
午前二時過ぎに一人でブランデーを飲んでいる聾唖の老人が黙りこくっているのも、午後三時過ぎに仲間とお茶している耳の遠い老人がバカでかい声を出しているのも、ただ自然なこと──本質的には同じことだ。
短編を読みおえる頃、コーヒーフロートもなくなった。
とても短く簡潔で、象徴的でキリリとムダのない、けれど胸にかすかな痛みを残すその物語にうっとりしているうちに、隣のおばあさんたちは姿を消していた。
そこにぽっかりと残された静寂と、濁った泡のついたコーヒーフロートの氷を眺めながら、いろんなことが繋がっていて、たいていのことは調和していて、ただ僕らが気づいていないのだ、と思った。
アイスクリームを先に食べてしまうか、溶かしながら飲むか、そんなことはどうでもよかったのだ。
喫茶店を出ると、外気はまだむしむしと肌にまとわりついた。でも、この店に入ったときと、出るときでは、気分がすっかり入れ替わってしまったかのようだった。
僕は電動アシスト自転車のペダルを漕ぎ出した。もう、喉は渇きはじめていた。