冬の足音が近づいてくると、身体の調子がすこしずつ停滞しはじめていくのがわかる。
朝晩の空気が乾燥してくると、埃アレルギーが出て鼻が詰まってくるのだ。気がつくと寝ている間に口呼吸が多くなっているので喉に痛みを覚え、歳のせいか最近は風邪もひきやすい。夏生まれで寒がりなので、身体の末端が氷のように冷たくなっている。風邪をひくと呼吸が苦しいので朝のランニングを控えるようになって、運動不足になる。慣れない仕事でストレスが溜まるので、今年の秋は暴飲暴食気味だ。
僕は通りの悪い鼻筋を揉みほぐしながら、あの小説のことを思い出した。読むだけで、身体が健康になったような心地よい気持ちになってしまうあの物語のことを。
「薬菜飯店」という小さな中国料理店は、神戸の下山手通りの近くにあるらしい。食べログやぐるなびには載っていない。
店を営むのは、ドジョウヒゲを生やした初老の肥った中国人店主と、その孫の美しい娘。店主は皇帝に使えた食医の家系で、薬品の製造、輸入、販売、薬局の開設許可などを持っていて、十八年もかけて世界中をまわり、薬効のある珍味美味を探したのだという。
薬菜飯店のメニューは一から百まであって、料理の名前の下には効能が書かれている。番号順に、頭からからだの下の方へ行くようになっている。
The Chinese Food Club in Berlin / miss_yasmina
たとえば「12 焦鮮顎薊辛湯(鼻中隔彎曲症治癒)」という料理は、アゴアザミの辛いスープで、鼻づまりに効く。葉や根を焼いてから煮つめ、漉したスープは、焦げ臭さがなんともいえぬ香ばしいコクと旨味となっていて、スプーンを動かす手がとまらなくなるほど美味い。
スープを飲み続けていると、やたらに洟(はな)が出てくる。ティッシュペーパーを一箱使っても足りないくらいの量が出て、ときには鼻からどっと血膿が噴出することさえある。けれど心配は要らない。悪いものが出きってしまえば、嘘のように鼻の通りが良くなりすっきりしてしまうのだ。
他にも、肺臓内の脂やタール、ニコチンなどを分解排除してくれる効能がある浅蜊料理や、胃炎に効く酸っぱい蟻の汁、肝機能を正常にしてくれるニホンアシカの前肢など、絶大な効能がありながら、とてつもなく旨い料理が揃っている。
ただしどの料理も食べた後に、やや苦しい思いをしなければならないようだ。眼が痛くなって涙が止まらなくなったり、鼻や口から際限なく粘液を吐き出したり、その勢いで転げるほどの便を噴出させたり。体内の悪いモノをすべて排出すれば、身体は信じられないほど軽くなり、胃は飯店に入るとき以上に空腹になっているという。
もちろんこの物語はフィクションだが、天才・筒井康隆の筆にかかると、読んでいるだけで本当に身体が健康になっていくような “快感” を味わうことができる。
ちなみに『ジョジョの奇妙な冒険』に似たようなエピソードが出てきて、こちらもなかなか爽快な読後感を得られるのだが、おそらく作者の荒木飛呂彦による筒井へのオマージュだろう。
先日、花村萬月の『武蔵』という時代小説を読んでいたら、一年以上も山籠もりをしていて全身が汚れきった弁之助(武蔵)が、泥湯で身体の隅々の汚れや油脂を洗い流すシーンがあったのだが、あれも読んでいてなかなか気持ちが良かった。武蔵にせよ、薬菜飯店の主人公にせよ、最後にはもっとも快感を伴う排泄をするのだが、それは語らないでおこう。
The Chinese Food Club in Berlin / miss_yasmina
そこまで劇的な効能は期待しないにせよ、僕は初めてこの物語を読んだ高校生の時分からずっと、熱くて辛いスープのかかった鉄巴(おこげ)に出会えないかと、中華料理店をさまよっているのだが、いまだお目にかかれたことがない。誰かこんなメニューがある中華料理店を知っている人がいたら、ぜひ教えてください。
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