休日だったので、オートバイでプールへ出かけたんです。
夏はほとんど、Tシャツと短パンとサンダルで過ごしているんだけど、オートバイに乗るときは、ひさしぶりにジーンズと靴下とスニーカーを履いて、なんだかフレッシュな気分──。
前にも書いたけど、オートバイって、股ぐらにロケットを挟んでかっ飛んでるようなもんなんです。
車とちがって、身体は剥きだし、ステアリングを握った両手を離せば、いつでも後方にふっ飛んで即死できる。
僕はのんびり走るタイプだけど、けっこう速いマッチョな400ccに乗っているので、いざというときの加速はやっぱハンパない。
アクセルをぐいんと開けると、自分の身体が後方に持っていかれそうになる──そのGがオートバイの醍醐味なんだけど。
その、──いざとなったら一瞬で加速して他の車を置き去りにできるスピード、パワー、排気量──、その余力、余裕が、走っていて気持ちいいんですね。
僕は最近、空(くう)──スペースを持とう、ということばかりを啓蒙しているんだけど、それはこういうときにも実感します。
心──頭のなかに余白、空間、スペース、があるとき、僕らは安らいでいられるし、何かあっても慌てずに対応できるし、ここちよく生きていられる。
空、余裕が、ある──ということ。
逆に言えば、心に余裕がないから、いつもなにかに追われていたり、なにかをどうにかしようと思考ばかりしていたりして、ちょっとしたことが気にかかる。
小さなこと、自分とは関係のないことにいちいち反応して、どんどんネガティブになっていく。
人としてのスケールが小さくなってしまう。
何年か前に、当時乗っていた250ccのオートバイで北海道を一周したことがあります。
250は街乗りには最高だけど、広大な北海道や高速道路を走るのはけっこう疲れる。
僕のKawasaki 250TRだと、高速で80kmも出せばハンドルがブレるし、100kmも出そうものならエンジンが悲鳴に近い轟音でがんばります。
つまり、余裕がない──えんえんと、全力で走ってたら、そりゃ乗ってる方も疲れる。
もっと排気量とパワーに余裕があれば、乗り心地もいいし、音も静かだし、なにかあったらさらに加速できるぞ、という心の余裕があるから、気持ちものんびり──。
いまはトレンドも変わってきているけど、ロールスロイスとかの高級車の排気量が大きいのは、余裕と余白──ゆったりと乗っていられる、ためなんですね。
オートバイや車は排気量が決まっているけど、僕らの心の余白は、広くも狭くもなる。
安心していること──いつも、いまで、だいじょうぶだと、気づくことです。
恐れや不安は、過去か未来にしかないんだもの──。
それにしても、オートバイってやっぱ、戦闘機だよね。最近つくづくそう思う。
だって、ヘルメットで頭を守って、それなりにちゃんとした防護服を着て、いつでも死ねるロケットでかっ飛んでくんだもん。
若い頃、オートバイに乗ると、なんかちょっと強くなったような気持ちになっていたけど、オートバイに乗るって、やっぱり、ちょっと気持ちが強くなるんです。
チャリや原付に乗るときとはちがう──気力のゲージがちょっと上がる、エナジーがそれなりにアップしてるんです。
慣れてくるとあんまり感じないけど、いつでも死ねる危うい戦闘機に乗る──ってことは、こっちもそれなりに気持ちを強くしないといけない。無意識にエナジーのゲージが上がっているんです。
だから、トップガンのトム・クルーズしかり、ヴェノムのトム・ハーディしかり、大脱走のスティーブ・マックイーンしかり、戦う男、強い男はオートバイに乗る──象徴なんですね。
人間の七つのエナジーで言えば、#2──自我と対人のエナジーが、オートバイに乗るとぐいんと上がります。
──おれがやってやる!負けてらんねえ!負ける気がしねえ!という、自我のパワーを、オートバイは引きだしてくれる。
オートバイに乗ったことのある人は、なんとなくわかるんじゃないかな?
だから、熱い衝動を持てあました若者たちは、オートバイで暴走したがったんだよね、昔は──。
ちなみに僕は、オートバイに乗るときはいつも無意識に、自分がトム・ハーディみたいに乗ってるセルフイメージを抱いているので、街のショウ・ウィンドウとかに映る小さなおっさん見て、ハア──と苦笑いしてます。
さあ、ぶん回していこうかな──ブルルン。