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五月のある平日。茅ヶ崎からオートバイでひたすら海岸線を伊豆下田へ向かった。

前回まで。☞ 下田の街。石畳に香るジャスミンに誘われて。

翌朝も快晴。久々の遠出に思いのほか疲れていたようで、重い身体を無理やりベッドから引き剥がす。

すこし酒が残っていたが、あーとかうーとか声を出しながら温泉にゆっくり浸かって、硬くなった鯵の干物と漬け物で白飯とシジミ汁を大量にかきこんだら、すぐに元気になってきた。なんせ今日は山間部を走るのである。わくわくしないわけがない。

午前九時すぎ。オートバイ置き場で東京から来た若者とすこし話をして、出立。給油をして、伊豆急下田駅を横目に、国道四一四号線を伊豆半島の中心部に向かって進んでいく。

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開放的な田園風景の広がる田舎道を快調に飛ばしていく。海岸線も気持ちいいが、景色が単調になりがちな海に比べて、山や森はいろんな表情を見せてくれるので、走っていて飽きない。

GoProのバッテリーにばかり気を取られていたせいで往路で撮影容量がいっぱいになってしまい、山道走行を撮影できなかったのがじつに悔やまれる。

〈河津七滝ループ橋〉なんて、メチャクチャ楽しいじゃないですか。車だと気持ちよさ半減だろうけど、オートバイで河津川沿いの森を天空に向かって駆け上る気持ちよさときたら。思わずUターンしたくなったもんね。

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いくつかの滝の看板に気を取られつつも山道を爽快に走り、〈天城越え〉道の駅で休憩。このまま国道四一四を進むと修善寺を抜けて三島に出るが、今日は〈伊豆スカイライン〉に乗って、箱根経由で茅ヶ崎に帰るので、途中から県道五九号へ折れる。

この五九号に入る丁字路が細い道でわかりにくく、通りすぎそうになったんだけど、それにしてもこの道は最高だね。動画がないのが本当に残念。鬱蒼と茂る森のなかをたった独りで走るのはこれ以上ない至福。気持ちよすぎて何度も歓声をあげてしまった。

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怖いくらいの人里離れた森(といっても道路は舗装されている。記憶はいつも大げさ)を堪能して、〈冷川インター〉から〈伊豆スカイライン〉に入る。

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朝から快晴で、交通量も少なく、素晴らしい自然のなかを走って心地よいはずなのに、いつのまにかスカイラインの開放された景色に昂ぶらなくなっている。

気にならなかった後続車やツーリング集団が、次第に鬱陶しく感じてくる。

思えば朝から家人に電話が繋がらない。LINEの返事もない。あるはずはないと思いながらも、過去の暗い記憶が蘇って、冷や汗が出る。

それからは景色や走りを堪能することもなく、淡々と距離を稼いだ。ターンパイクの展望台から芦ノ湖を見下ろしているうちに、数年前に北海道を一周したときのことを思い出していた。

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あのときも、同じだった。

意気揚々と旅立ったのはいいのだが、家を出て三日目あたりから、なんとなく旅に慣れてしまうのか、気持ちが沈んでいった。

それでも先は長いので淡々と走りつづけていると、あるときようやく、自分がひどく疲れていることに気がつく。

非日常の旅にこころが踊っているために、身体の疲労に気づくのが遅れるのだろう。意識だけが覚醒して、身体が休止している〈金縛り〉の状態のように。

そして、この、旅に出てから数日後に訪れる憂鬱を抜けると、心身ともにようやく〈旅仕様〉になっていく。こころも身体も柔軟性を身につけ、たいていのことでは動じなくなり、羽虫の落ちたコーヒーをそのまま飲めるようになったりもする。

今回は久しぶりのオートバイ旅だったこともあって、旅仕様に変わっていく分岐点がいつもより早く訪れたようだ。予定では夕方まで山間部を走るつもりだったが、無理をせずターンパイクを下り、西湘バイパスでそのまま家まで帰ることにした。〈西湘〉PAで家人とも連絡が取れ、無事が確認できた。

午後三時前には帰宅した。一日空けただけの家が、一瞬、他人の家のように見えた。旅仕様になりかけていた心身が、瞬時に引き戻されて、書斎の人に戻っていた。現実から離れるには、やはり下田に一泊では距離も日数も足りない。

それでも、たった一泊でも、オートバイで家を出てよかった。

書斎に籠もって物を読み書きする生活がつづくと、いくらリフレッシュを図っても、だんだんと生命力の灯が弱まっていく。思考だけが増大し、現実が薄らいでいく。だからこそ、オートバイという不安定な乗り物に乗って、車や電車の快適な旅行では味わえない〈心地よい負荷〉をかけて、心身を活性化させるのだ。

エンジンやマフラーが冷えたら、今日のうちにオートバイの潮や汚れを洗い流そうと思っていたが、いつのまにかソファで眠りこけていた。ひさしぶりに、ぐったりした。気怠さが、心地よい。

夕方、目を覚ますと、辺りはまだ明るかった。夏はすぐそこだ。

ホテルは快適だったが、やっぱりキャンプ旅にも出ようと思った。屋根裏から、埃をかぶったソロテントとシュラフを降ろしてきて、信州の地図を眺めているうちに、いつのまにかまた眠りに落ちていた。