YAMAHA SR 400
行動力のある若者ならすぐに免許を取りにいってオートバイに乗ったのだろうけど、あの頃の僕はただ指をくわえて街を走るSRを眺めているだけだった。
生まれてはじめてカッコイイと思ったオートバイは、僕が幼少期に面倒を見てくれていた叔父のスーパーカブだった。
叔父は毎日、スーパーカブの荷台に大きな荷物を載せて仕事へ出かけていった。年に何回か、やむを得ない理由があったときだけ、叔父はスーパーカブの後部シートに僕を乗せて学校や病院へ連れていってくれた。よく憶えていないけど、たぶん50ccのカブだったので、もちろん違法だ。
子どもだった僕にとって、叔父のスーパーカブは夢のような乗り物だった。いつも自転車でふらふらになりながら登っていた近所の長くて急な坂を、スーパーカブに乗ってぐいぐいと登り切ってしまうたびに、いつか必ず僕もオートバイに乗るんだ、と心に誓った。
中学からは全寮制の男子校に進学したので、オートバイを目にすることはめっきり減ったのだけれど、映画少年だった僕はスクリーンを走り抜けるオートバイに心を奪われた。
『イージー・ライダー』でピーター・フォンダと共に炎に包まれたチョッパーのハーレー、『大脱走』でスティーブ・マックイーンが縦横無尽に駆ったトライアンフ、『AKIRA』で金田がネオ東京を疾走した常温超伝導モーターバイク、『ランボー』が孤独から逃げようとしたYAMAHA XT250、『トップガン』でマーヴェリックが滑走路を低空飛行したKawasaki GPZ900R(Ninja)。
銀幕であらゆるタイプのオートバイを見つけるたびに、僕はやっぱり、いつか必ずオートバイに乗るんだ、と心に誓ったのだった。
高校生になったある日、退学になった先輩がHONDA STEEDに乗って学校へ遊びに来た。以前はわりと仲がよかったのに、オートバイに跨がった先輩はなぜか僕には目もくれず、あいかわらず学校という閉鎖されたところでぐずぐずしている僕らを嘲笑うかのように、爆音を響かせて去っていった。ちょっと悔しかったけど、やっぱりオートバイに乗りたいと思った。
motorbike.jpg / midorisyu
2010_02_20_Gent_113716 / Timo_Beil
当時毎日のように会っていた親友の一人がHONDA JAZZというアメリカンタイプの原チャリに乗っていた影響もあったかもしれない。それにしてもJAZZは小さいくせに堂々としたアメリカンのフレームでおもしろいオートバイだった。乗っていたやつも、ヘルメットの前部に「肉」と書かれたステッカーを貼ってキン肉マンにリスペクトを捧げるようなヘンなやつだったけど。
shorttrack racing rye house / REDMAXSPEEDSHOP.COM
大学を中退して、小説家を志しながらアルバイトで生計を立てていた頃、バイトの後輩がKawasaki D-Trackerというモトクロッサータイプのオートバイに乗っていた。カスタマイズされたダートラがまだ主流だった頃、元美容師でセンスのいい彼が乗っていたバリバリモトクロスタイプのやんちゃなD-Trackerはとてもカッコよかった。
My New Motorcycle / -kaz-
彼はそれから週末のたびにSRで茅ヶ崎へやってきた。引きこもっていたために青白かった彼の顔色が、夏の陽射しに焼かれて健康さを取り戻すした頃、SRが物足りなくなった彼は大型免許を取得して、ハーレーのスポーツスターに乗りはじめた。彼はその夏、最高の笑顔を見せた。
当時、僕は家族4人で660ccの軽自動車に乗っていたので、一人で1200ccの巨大なオートバイに乗る彼がやたらとおかしかったのを憶えている。そしてオートバイには、人を哀しみの淵から引きあげてくれる力があることを知った。
Harley Davidson Nightster / Carbon49
「カワサキのZRXっていうんだよ。あなたも早く免許取りに行った方がいいよ。人生が変わるよ」
僕はそのとき、大人になって忘れていた、いつか必ずオートバイに乗るんだ、という気持ちを、久しぶりに思い出して、胸が熱くなった。
El Camino Motorcycle Show 0041 / The Javelina
四十歳が視界に入るようになってようやく、憧れを現実に変える、という人生の法則を知った僕は今、教習所に通っている。
いつか僕もあのおじさんのように、オートバイに憧れる少年に、とろけるような笑顔で言ってあげたい。
「オートバイはいいぜ。昨日まで曇っていた世界が、輝きだすんだ。」
「いつやるか?今でしょ!」ということで37歳にしてオートバイの免許を取りにいくことにした。 | THE KLOCKWORKS