おれの一日は、元気でやんちゃすぎるアン🐕🦺(ラブラドール・レトリバー、2歳、♀)と散歩に出かけるところからはじまる。
夏は、アンはロングリードをつけて海に飛びこむ。
かなり波がある日でも、インサイドのスープに揉まれながら、おれが投げた流木を果敢に取ってくる。ウォーター・ドッグ(水猟犬)の本領発揮だ、すいすい泳いでく。
暑すぎる日は、おれも一緒に海に飛びこむ。
火照った身体が、いっきにクールダウンする。そりゃあんな大量の水とマイナスイオンに包まれるんだもの──おれは覚醒する。
アンとの朝散歩は、おれのなかにたくさんのエナジーを循環させてくれる。
一時間もビーチを歩けば身体全体が活性化するし、
散歩していると気づきや閃き、創造性が入ってくるし、
太陽を浴びて裸足で海に入れば自然から生命力をもらうし、
元気でカッコいい愛犬と遊ぶのは純粋に楽しいし、
青い空と海と砂浜を感じていると、すべてはひとつだと恍惚とすることもあるし、
よし、やってやるぞ!という意欲が湧いたりもするし、
気づきや閃きをどういう形で世界に循環するか、一人でブツブツ声に出していたりもする。
エジソンとかアインシュタインとかベートーベンとか、必ず朝の散歩をしてた、って言うでしょ。
おれは天才じゃないけどさ、おれのなかにいる天才が、散歩すると目覚める──ってのは実感あるよ。
気づきや閃きや創造性が、空──スペースのなかに自由に羽ばたくんだ。
新たなる閃きやアイデアは、そのままエナジーになる!おお、その手があったか!さっそくそれをやろう!イエス!──と。
帰ってくると、まずはアンをガレージで洗い、タオルを干し、おれ自身もシャワーを浴びる。
いろんなエナジーが循環して、元気であれば、すぐに書斎でバリバリ仕事をはじめる。
でも、疲れてたり、頭のなかが整理されていなかったり、なんかモヤモヤするときは、書斎のソファに座る。
iPhoneも持たず、Apple Watchも外し、ただのんべんだらりとだらしない格好でソファに座る。
なにもしない、なにもしようとしない、なにもかんがえない、ただ、座る。空──スペースができるまで。
おれはそれを〈無為のソファ〉と呼んでいる。
数年前、暗い鬱の沼の底で、もうなにもできない、もう選ぶ道がない、なにもわからない、もう、底だ──という絶望の地平に、おれはこのソファを見つけた。
このソファで、数分でも、数十分でも、無為──なにもしない、ただのおれになる。するとそこに空──スペースができる。
やがてそこに、いろんなものが見えてきたり、感じられたり、気づいたり、閃いたりして、いつのまにかおれは立ち上がり、なにかをはじめる──とても自然に、ゆったりと、あるいは意気揚々と。
こういう無為の時間は、じつはみんな持っている。
ジョブズやゲイツのように、意識的に瞑想やマインドフルネスや禅の時間をとる人もいれば、深夜のキッチンテーブルでぼんやりするOLも、夕陽を眺めて目を細める老人も、猫を抱いてうっとりしているあなたも、そのとき、空──スペースにいる。
空──スペースには、いろんなものが入ってくる。
豊かさや歓び、愛ややさしさ、気づきや閃きや創造性。
でも同時に、イヤなものが入ってくることもある。恐れや不安、痛みや苦しみ、哀しみや寂しさ──。
だから人は、空──スペースを嫌い、なにかで空白を埋めようとする。
でも、それらのイヤなものってぜんぶ、思考か創造で、過去か未来、おれたちの頭のなかにしかないんだ。
なんて、気取って書いたけど、ようは、モヤモヤしたら、なにかするのをやめて、完全に無になると、頭のなかにスペースができて、落ちついて、いろいろクリアになるから、スンゲーいいよ、という話です。
で、それは、実践あるのみ──なんだ。
ほんとうかな?できるかな?できないよ、やっぱダメだ、よけいにモヤモヤ──とか考えてるヒマがあったら、とにかくやってみる。NIKEが何十年もコピーで言ってる──JUST DO IT.
やればちょっとでも進む。進むと景色が変わる。進むと見えるものがある。
できないからやらない、じゃなくて、できないからやる、するとできるようになる──シンプル😎
くる日もくる日も、剣を振ることから。