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レビューはもういらない。作家渾身の「書き出し」から本を選ぶ喜び。『kakidashi.com』

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芥川賞作家・花村萬月は、小説家を志していた頃、古本屋で安い文庫本を買ってきては、手当たり次第に「書き出し」だけをコピーしたという。

優れた小説の書き出しには、その一文で読者を架空の物語の世界にぐいと引きこむ力がある。そんな本の「書き出し」だけを集めた、とても美しいWebサイトを見つけたので紹介したい。

僕は三十七歳で、そのときボーイング747のシートに座っていた。

村上春樹の『ノルウェイの森』の書き出しだ。一見何の変哲もない文章なのに、無性に次の行を読みたくなってくる。中年にさしかかった男性の主人公が、ジャンボ旅客機の中で「そのとき」起きた出来事を語ろうとしているという、ただそれだけの、特に目を引く描写もない平凡な一文が、ぐいと心を惹きつける。個人的には、こういう説明の少ない簡素な書き出しが好きだ。

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kakidashi』は、そんな本の書き出しだけをまとめたサイトだ。トップ画面にずらりと並んだ書き出しをクリックすれば、書籍のタイトルが表示されてAmazonの詳細情報に飛ぶことができるので、気になったらそのまま購入することができる。

サイトにもあるように、本の書き出しは作家の命の断片とも言える、渾身の一文だ。映画の予告編が本編よりもおもしろいことがあるように、作品を凝縮した書き出しには魂が籠もっている。

自分の好きな書き出しを投稿できるのも、楽しみのひとつだ。僕が気に入っている書き出しをいくつか紹介したい。

テニスボーイは犬の吠え声で目が覚めた。全身に酒が残っている。
『テニスボーイの憂鬱』村上龍
ブリキの蓋の付いた砂糖壺を濃いコーヒーの上で振った時、最後の一振りであまりにも沢山の砂糖が出すぎてしまったときのはにかんだ笑顔や、文字のはげかけたムスクオイルの瓶など、私の心の中でいとおしまれていた物たちが何の意味も持たなくなる時、既に新しい愛は始まっている。
『指の戯れ』山田詠美
陸に上がった後も海のことがいつまでも忘れられない。
『海峡の光』辻仁成
おれのPHSの裏側にはプリクラが一枚貼ってある。おれのチームのメンバー五人が狭いフレームになだれこんで写ってる色のあせたシール。フレームの絵柄は緑のジャングル。バナナめあての下品な猿たちがスイングしている。それはこっちの世界と変わらない。
『池袋ウエストゲートパーク』石田衣良
僕の耳の奥、鼓膜に接するその内側に仕込まれているのはわりと性能のいい銀色をした音叉だ。
『ゲルマニウムの夜』花村萬月
私は、よく娼婦の顔をしていると言われる。
『ファザーファッカー』内田春菊
この暗い道は何だろうか。両側にそそり立つ暗い垂壁は何だろうか。
『マークスの山』高村薫
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。
『雪国』川端康成

このサイトを眺めていると、世界にはこれほど魅力的な書き出しと、まだ見ぬ無数の物語が存在することに心が躍りだしてくる。

レビューや解説を参考にするのもいいが、作家が魂をこめた渾身の「書き出し」から本を選ぶのは、きっとあなたにいつもと違う喜びをくれるだろう。

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