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中高時代の友人の結婚式二次会。

次々にあらわれる旧い友人たちの顔と名前を脳内で一致させるのに苦労しながら、握手を交わしてハグをする。

「今どこに住んでんの?仕事は?結婚は?」

いたるところで矢継ぎ早に繰りかえされる質問に混じって、最近よく聞くようになった台詞がある。

「フェイスブックってホントすげえよな」

実際に会ってはじめて実感する本物のソーシャルネットワーク

ここ数年で、日本でも末端までフェイスブックが浸透してきた感があります。外国産のWebサービスにはとりあえず懐疑的なレイトマジョリティ(後期多数採用者)と呼ばれる人たちの間にも、水が染みいるように入りこみ、当初は反発していた「実名制」の威力を実感していることでしょう。

何がスゴイって、次から次へと旧い友人たちとリアルに再会し、何十年ぶりに交流が再開していくという「現実」が産み出されているということです!

フェイスブックのウォール上で交流するだけではなく、時間と場所を決めて足を運び、照れくさそうに顔を合わせ、握手を交わして酒を酌み交わす。共にすごした「過去」を懐かしみ、それぞれの「現在」の立場でできることを話して、お互いが「未来」に活かせることを摺り合わせる。

人生の喜びと未来への希望をこれほど簡単に共有できるのは、間違いなくフェイスブックのおかげだ!と声高に喝破したくなるのは、僕がそれなりに歳を取ってしまったからなのでしょうか。

フェイスブックの底に這うスマートフォンの存在

昨年あたりは「フェイスブックやってないの?」と訊くと「今度スマホに替えるから、そんとき始めるよ」という声をよく聞きました。

つまりフェイスブックはスマホでやるものだ、という概念が少なからず存在するということです(ということでお粗末なiOSアプリをどうにかしてほしいものですが)。仕事で常にコンピュータの前にいるという人でなければ、たしかにフェイスブックにアクセスするメインのツールはiPhoneなどのモバイルツールになるでしょう。

実際にフェイスブックのアクセスはモバイルからが大半だという話もあります。

「日常」を共有する、というフェイスブックの中核の底には、スマートフォンが必要不可欠なのです。

「作るものが世界を変えることができるのだと教えてくれてありがとう」__マーク・ザッカーバーグ

Internet memes | Zuckerberg: This Facebook Guy - oil portrait by A. Fudyma-Powers

天に召されたジョブズにザッカーバーグが贈った言葉の一節です。

「世界を変える」というジョブズの台詞はすこし大袈裟で、眉をしかめていたこともあった僕ですが、最近になってようやく実感を得ています。

MacintoshやiPhoneがなければ、僕はアプリ開発もしていないし、GTDを実践しようとも思わなかったし、こうしてブログを書いていることもなかったでしょう。家族との美しい思い出を写真やビデオに残して、共有して、テクノロジーに夢を見て、将来に希望を持って僕が毎日笑っていられるのは、スティーブのおかげだと(多少照れながらも)言ってしまっていいでしょう。

そしてジョブズがこしらえた思想とデバイスの上に、今新しい時代の星がフェイスブックというとてつもなく巨大な「場所」を提供しています。

久しぶりな気がしないよ

何十年かぶりに実際に再会した友人によく言われるのが「フェイスブックで見てるから、ひさしぶりな気がしないよ」という言葉です。

僕は割とマメに日常をアップする方なのでそう思ってもらえるのだと思いますが、リアルに会う前にお互いの「感じ(vibe)」を理解しておくと、スムーズに事が運びます。長い間会っていなければ警戒することもあるし、誰もが明るく積極的に肩を抱きあうことができるわけではないものですが、すんなりと心を開きあえるような気がします。

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まとめ

過去2年間で、たくさんの旧友たちと再会することができました。仕事や家族、趣味などで共通するところがあれば、そこを軸にして何度も会うようになった友人知人もいます。

また飲み会やセミナーなどで短い時間しか共有できなかった人たちとも、フェイスブックで交流をつづけることができています。

タイムラインから飛び出て、掌の熱を感じ、またタイムラインに戻ってお互いの「日常」を共有しあう。まったくもってフェイスブックってスゲエな。