コラム/エッセイ

目黒川の二胡弾き

Temple of Heaven (long corridor) Beijing 天坛
Temple of Heaven (long corridor) Beijing 天坛 / Mal B

夏の終わりと日曜日の終わりはよく似ている気がする。

ちびまる子ちゃんが始まるとなんとなく切なくなるあの感じが、晩夏の雲を眺めているとじわじわと滲んでくる。

大好きな夏が終わる寂しさと、案外嬉しかったりする秋の気配を味わっていると、僕はいつも「目黒川の二胡弾き」のことを思い出す。

中目黒の駅からすこし歩くと、目黒川の橋を渡ったところにいきつけの大衆居酒屋があった。
今どき珍しいほど活気のあるお店で、外国人のおばちゃん店員が片言で注文をとっていて、値段も安くて、つまみもそれなりに美味しかった。
お店の外側には申し訳程度のテラス席があって(とても狭いのだけれど)、僕らはそこに座って、イカの丸焼きなんかを食べてビールを飲みながら、街をゆきかう人々の群れを眺めるのが好きだった。

夏の終わりのなまあたたかい風を浴びながらビールを飲んでいると、いつのまにか夜に包まれている。
目黒川の向こう側にはこの界隈らしい洒落た店が並んでいて、その明かりが川面に反射してちらちらと揺れていた。
道の逆側からは意外にもたくさんの人が歩いてくる。その先にはオフィス街があるのだろうか、帰り道を急ぐ男女の群れが足早に通りすぎていく。

ビールでお腹がふくれてくる頃に、幻想的な二胡の音色が聞こえてくることがあった。
二胡(にこ)というのは日本の胡弓によく似た、中国の擦弦楽器だ。
曲はいつも喜納昌吉の「花」だった。

目をこらしてみると、小さな椅子に腰かけて二胡を弾いている人影が橋の上に見えた。
街のざわめきと二胡の音色はなんだかすごく合っていて、僕らはゆったりとその旋律を愉しむ。
なめらかな弓の動きが川面に反射する街の明かりに照らされて、夢の中にいるかのような非現実的な光景だった。
もう十五年以上前のことだ。

それからしばらくして、僕は入門用の二胡を買った。たしか駅前の楽器店で一万円はしなかったはずだ。
スピッツの「ジュテーム?」という曲の間奏に二胡が使われていて、どうしても弾いてみたくなったのだ。
学生時代からギターを弾いていたのでどうにかなるだろうと思っていたのだけれど、擦弦楽器というのは甘くなくて、なかなか「まともな音」が出ない。そもそも弦を弓で擦って音が出る仕組みがわかっていないので、まず音が出ない。出ても断末魔の叫びのような音。言うなれば「しずかちゃんのバイオリン」である。

ろくに弾けないまま、茅ヶ崎に引っ越しをする際の断捨離からも逃れて、今も押し入れにしまってある。

最近、食べられなかったものとか、バカにしていた音楽とか、あまり好きじゃなかった考え方とか、人とか、今まで受けつけなかったいろんなものを受け入れられるようになってきた。
疲れやすくなって、涙もろくなって、若い頃の溢れ出る活力を失っていく代わりに、大切なものが見えてきているのかな、とも思う。そんなことはないのかもしれない。わからない。

あんなに嫌いだった夏の終わりにも、どこかで安心している僕がいる。
今なら、生き急ぐ若者のように慌てないで、二胡を弾けるような気がする。
押し入れを開けてみようか。

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