RICOH GRは、使う人を選ぶカメラだという。さっと取り出してぱっと撮影しても、一眼レフのような高画質で日常を切り取れるが、ズーム機能がなく画角の広い単焦点レンズはシロウトにはハードルが高い。
……なんていうことくらいまでは聞きかじっていたんだけど、そのストイックで目に見えにくい高性能や、究極にシンプルで無骨なデザインにやられて、ふだん何も考えずに写真を撮ってきたドシロウトの僕が、最新のGR2という機種を購入した。
▼ 購入前の動機や期待はこちら。
買う前にネットでGR2に関するレビューやブログをいくつか読んだのだけれど、多くはカメラや写真に詳しい人がレベルの高いところで語っているものか、レベルの高いところに到達したい人が背伸びして書いているものばかりで、僕のような初心者にはピンとくるものがあまりなかった。
ということで、カメラや写真はそれなりに好きだけど(ブロガーなので日常的に写真を撮りまくる)、技術や理論やスペックにはまったく明るくない僕のような素人が、あえてそのまま感じたことを書き残してみる。
GRというカメラを使う覚悟が、写真に対する姿勢を変える。
まず、実売価格7万円超とコンパクトデジカメにしては高額で、多くのプロ・フォトグラファーも使うGRという特別なカメラを買うということだけで、僕自身の写真に対する姿勢、心がまえのようなものが無意識に変容していくのがおもしろかった。
ネット通販で注文してあと数日で手元に配送される、という段になってから外に出てみると、いつも通っている道やいつも見上げている空を、いつの間にか写真の構図として見ていたのである。
そうやって日常の風景をじっくり落ちついて眺めてみると、写真というのもけっきょくのところ「どれだけ考えて撮れるか」というところに収束するのだと思った。
目に飛び込んできて、写真に残したいと感じた被写体を、自分はどのように切り取りたいのか、その写真をどうしたいのか、思い出に残したいのか、SNSにシェアしてドヤ顔したいのか、そこにある物語を誰かに伝えたいのか、という目的や意味を、どれだけ自分の中で明確にできるかが、いい写真を撮るための初歩中の初歩なんじゃないだろうか。
スナップ写真の大家・森山大道でさえ「僕は撮影中、割と考えてるんだよ」と言うように、何気なく撮った日常の一瞬が切り取る偶然のリアリティも魅力的だけれど、「撮る前に考える」ことをするだけで、シロウトにだってそれなりの写真が撮れるようになるはずだ。
僕はまだ写真のことなんてぜんぜんわからないから、とりあえずは、「写真によってその瞬間の物語を伝える」ことを考えるようにしている。それは、いい写真を撮りたい、というよりは、そうやって撮ると楽しいからだ。
技術や理論を持ち出さなくても、自分で世界を眺めて、どの画角で、どの角度で、どれくらいの光で撮れば自分の理想にもっとも近づけるのか、素人なりに考えるだけで、写真の質はぐっと上がるだろう。
いいカメラを使うのだという期待と覚悟は、写真に対する心がまえを変える。極端に言えば、僕はGRを手放しても、以前よりはいい写真が撮れるようになるのかもしれない。
最近、健康のために黒酢を飲むようになってから体調がいいんだけど、そもそも黒酢を毎日飲むくらい健康に気をつかいはじめたから体調がいいとも言える、みたいなことだ。伝わる?(笑)
いつでもカメラを持っていること
尊敬するアマチュア・フォトグラファーの友人は、どうやったらいい写真が撮れるか、という僕の問いに
「いつでもカメラを持っていること」
と答えた。いつでも持っている、すぐに撮れる、ということが何より大事だと。そこだけを優先すれば、スマホのカメラにかなうものはないんだけど、やっぱりスマホは所詮スマホだ。
何枚ものレビュー写真を見たり、近所のヤマダ電機で実機を触っていたにもかかわらず、実際にGR2を購入して自分のカメラとして手の平にのせたときには、その小ささにのけぞった。一眼レフやミラーレス機と比べたら、筐体のチープな質感も手伝って、おもちゃみたいな存在感じゃないか。
なるほどこれならスマホと同じような感覚で持ち運べる、と僕は思った。他の人がどう感じるのかはわからない。けれど僕個人としては、ちょっと海や街に出かけようというときでも、財布と鍵とiPhoneと、そしてこのカメラを首から提げて、あるいはジーンズのポケットに突っ込んで、躊躇なく持ち出せるだろう。「いつでも持っていること」という条件において、このカメラに勝るものはなかなかないね。
日常をそのまま切り取る感覚はすぐに伝わってきた。
さて、ちょうどお風呂に入っているときに佐川急便の着払いで届いたので、バスタオルを腰に巻いたままのびちょびちょの格好で玄関に出て受け取ったのだが、その後すぐにマニュアルも読まずにテキトーに家の中を撮影した僕は、その数枚の写真で驚愕することになる。
まず率直に、かつかなりの驚きとともに抱いた感想は「こんな写真見たことない!」だった。次に落ちついて分析してみるとそれは「目で見たそのまんまやないけ!」であった。
僕は今まで、これほどまでに見た目そのまんまに写った写真を見たことがなかった。室内の暗さ、スタンドライトの光の当たり方、近いものと遠いものの見え方、子どものきめ細やかな肌の質感、壁に刺さった画鋲の錆びて酸化した鈍色。そのどれもが、本当にそのままの色と形と質感で写っていた。
その中でも、僕がこんな写真見たことない、と圧倒されたのは、小学生の次女が歯を磨きながら僕に笑いかける自然な笑顔を写した一枚だった。
天真爛漫でわんぱくな娘のこのとろけるような笑顔を、僕はこれまで何度も見てきたはずだ。けれど、この一瞬を写真で見たことは一度もない。大げさに言えば、いつも見ているけどすぐに記憶の淵から消え去ってしまうその一瞬が、はじめて永遠に切り取られたのだ。
「真を写す」と書いて「写真」であるとするならば、GRというカメラは、その「Get Real」という名の通り、まさに目で見たそのまんまのリアルを一瞬で切り取れるのだ。GRのキャッチコピーである「最強のスナップシューター」という表現は的を得ているが、僕の抱いた感慨に比べれば生ぬるい。
もちろん、より高性能の一眼レフを用いればもっと綺麗な写真を撮ることはできるだろうけど、GRのサイズと操作感でなければ、そもそも夜の書斎で娘の写真を撮ろうなどとは思わないわけだ。「さっと撮れるのに、超リアル!」なんて安い言葉で表したくはないけど、まあそういうことです(笑)。
そして、単焦点レンズ故にズームができない、というマイナスの要素が、じつはプラスになるというところがおもしろいのだけれど、それはまた別の機会に話します。プロじゃないんだからね、潔く撮れるんだよ、ズームがない方が。
Comments by 茅ヶ崎の竜さん
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