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先日、愛用していたミラーレス一眼がいきなりぶっ壊れた。

ほんの10センチくらいの高さから落としただけでレンズを認識しないとはどれだけ壊れやすく脆いカメラかと憤りもしたけど、これを機会にずっとずっと欲しかった「RICOH GR2」というカメラを買うことにした。

GRは高性能コンパクトデジカメに分類されるが、単焦点レンズとストイックな使い勝手で撮る人を選ぶカメラだという。広く明るいレンズで手軽にボケを楽しむこともできるが、ズームがないので自分から被写体に寄っていく必要がある。コアなファンの多い伝説的な機種ではあるけれど、撮る人のセンスや技術が如実に表れてしまうだろう。

僕はGRで撮影された作品集を本屋で眺めながら、十年くらい前に見た『恋愛写真』という映画を思い出した。

空も世界も白く染まった冬の朝に街を駆け抜ける広末涼子と、その姿を歩道橋の上から一眼レフで撮影する松田龍平のシーンが印象的だった。龍平は慌てて望遠レンズを装着すると、彼女の日常の一瞬を永遠のフィルムに切りとった。たしかそんなシーンだったと思う。

それまで写真やカメラに興味を引かれたことはほとんどなかった僕だが、このシーンが頭から離れなくて、家内に頼みこんで初めてのデジタル一眼レフを手に入れた。

「写るんです」みたいなインスタントカメラと何が違うのかもわからなくても、彼と同じ一眼レフを持っていれば、あの冬の街で微笑む広末涼子の一葉のような写真を僕にも撮れると思ったのだ。

入門用の標準レンズ&望遠レンズセットで10万円くらいしたんだろうか。初めての一眼レフは、そのボケ味も、光の加減も、レンズを交換できるというギミックだけでも、僕を興奮させるのには充分だった。

けれど言うまでもなく、それを「持っているだけ」で映画のような写真が撮れるはずもなく、かといって写真技術を学ぶ気もなく、いつの間にか部屋の片隅で埃をかぶるようになっていた。まあどこにでもよくある話だ。

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今僕はまた、あのときと同じ勘違いをしている気がする。

GRというクールなカメラを手に入れれば、今まで撮れなかったような写真が撮れるんじゃないかと。日常の一瞬をアートっぽく切りとれるんじゃないか。馬鹿げてると笑いながらも、どこかでその期待を捨てきれないでいる。

GRを買おうと決めた途端、いつものさんぽ道の風景が変わって見えた。何度も通っている団地の間を縫う道を両側から挟みこむ木々の緑のトンネルが、写真の構図として目に入ってくる。iPhoneのカメラでその構図を切りとってみたけど、やっぱりそれはひどく平凡だった。

きっとGRが手元に届いたら、あの頃と同じように自分の技術とセンスのなさにそっと失望の苦笑いを浮かべるにちがいない。でも、たとえそうだとしても、僕の胸は少年のように静かに高鳴る。

先日久しぶりに会った旧い友人と「人間なんていつ死ぬかわかんないよね」なんていう話になった。

彼女は「注文してたGRが届く前に死んじゃったりして」と笑った。それはたしかに切ないけれど、この勘違いという高鳴りを胸に抱きながら死んでしまうのも、そんなに悪くないのかな、なんて思ったりした。