雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる。

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にわかには信じられないんだけど、父が亡くなってから今日で二十日も経っていた。いや、まだ二十日しか経っていないのか……よくわからないけど。

数日茅ヶ崎の自宅に帰っただけで、あとは都内の実家に寝泊まりして、母と葬儀の返礼やら会社の手続きやら四十九日法要の準備やら今後のあれこれに追われている。いくつかのライター仕事をお断りさせていただいた以外は、フリーで働いている身なので、こうして家を空けて悠長に構えていられるわけだけれど、まともな会社員だったらとっくに出社してきちんと働いている頃だろう。頭が下がる思いである。

こんなことを今このタイミングでここに書くことが適当なのかどうかわからないんだけど、正直に言ってまだ僕はひどく混乱している。心の総体は静かに落ちついているのだけれど、その中にぼんやりとした混乱の塊をいくつも抱えているような感じ。まあつまるところそれは、落ちついているようで落ちついていないということなんだろうけど。

部屋に閉じこもってばかりいると息が詰まるので、数時間は外に出て散歩をする。親父が毎日お参りをしていたお寺さんの境内を渡って、通りが見えるWi-FiのあるカフェでMacBookを開いて、仕事の連絡など簡単にできる作業をこなすのだけど、すぐに落ちつかずに外に出てしまう。せめてもの楽しみは買ったばかりのRICOH GRで都会の街並みを撮り歩くことだが、茅ヶ崎の空気とは明らかに違う都心のまとわりつく暑さにうなだれながら歩いていたら、いつの間にかずいぶん遠くまで来てしまい、軽い頭痛を抱えながら途方に暮れる。そんな日が続いた。

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哀しいとかショックとか、そんなわかりやすい感情があるわけじゃない。亡くなってから数日間は犬が吠えるように泣きつづけ、いつもは忘れていた記憶が脳内にいくらでも流れ出してくるので、もはや哀しむことにも疲れ切ってしまった。そう、哀しむというのも、疲れて、終わるのだ。人は、ずっと哀しみつづけて生きていけるようにはできていないらしい。もうひとつはじめて知ったのは、人は本当に泣くとき、犬のようにおうおうと吠えるように泣き叫ぶということだ。慟哭、という言葉の意味を僕は自らの身体でもってはじめて知ることになった。

冷静に(なれているのかどうか自分でもわからないけど)分析してみると、僕は今、ある部分ではひどく冷めた状態で、客観的に物事を捉えられているが、ある部分ではまだ混乱していて、どうしていいかわからない、あるいはどうもしたくないという無気力に支配されている気がする。哀しみではなく、無気力。かつて味わったことのある灰色の感情の断片を思い出す。無気力というのがいちばん怖いということを、僕と家内は体験から知っている。人が自ら終止符を打つときは、たいてい苦痛ではなく無気力が引き金になるのだから。

そんな状況の中でもひどく落ちついて見えるのが、なぜか親父のことではなくて、僕自身の来し方とこれからのことだった。自分の身体が空に飛び立ったかのように、高い視点から、僕がこれまでやってきたこと、考えてきたこと、選んできた道を、遠くの地平まで広く見渡せているみたいだ。そんな風に思っていたら、ふとある疑問が沸いてきた。

僕は「好きなことして生きていこう」などと声高に言ってまわりながら、もしかしたら本当は、好きなことなんてやってないんじゃないか。

それはなかなかにこたえる問いだった。容易に認められるものではなかった。怖くて思わず笑ってしまった。でも僕はそのとき、もうすでに気づいていたし、もうすでに諦めていた。

僕は海のある街に住んで、愛する家族と暮らして、ブログや原稿を書いて、コンサルをやって、大好きな映画を見て、オートバイで旅をして、好きなことだけやって自由に生きていると思って(信じて)いたけれど、どうやらそれは違ったみたいだ。まったく違うというわけじゃないけど、多くの部分でそれは、どこかで逃げて、あるいは誤魔化して導き出した答えだったんじゃないかと。

そして、犬のように泣き続けた後、定められた量の涙を出しつくして、親父の死を受け入れたとき、ふとこう思ったのだ。「僕は、親父みたいになりたかっただけじゃないか」と。

都会のど真ん中の高級マンションに暮らして、高価でスタイリッシュなものだけを身につけて、毎日仕事に精を出し、映画と小説とジャズとジャガーとシャンパンを愛し、たくさんのお客さんや友人たちに愛された親父。僕は幼少の頃からそんな親父に憧れていたし、そんな親父みたいになりたいと思っていた。

でもいつしか、僕は親父には受け入れてもらえないと思うようになっていたのだろう。親父が好むものばかりを探していたはずの僕は、親父が好まないものばかりを選ぶようになっていった。親父が仕事を大事にするのなら、僕は家族を大事にしよう。親父が体面的なスタイルを気にするのなら、僕はすべてを正直にさらす人間になろう。親父が都心の街に住むのなら、僕は海のある田舎町に住もう、というように。

つまりは、すねていただけなのである。認めてもらえないのなら、愛してもらえないのなら、僕は親父とは違う道を行くよ、もうほっといてくれよ、と。それはまるで、グループから仲間はずれにされた小学生が別のグループに入って、元いたグループを敵対するといった幼稚な感情のようだが、まさにそんな幼稚でねじくれた心を抱えたまま、僕はこんなおっさんになるまで生きてきてしまったのである。

僕はいつの間にか、自分が本当にやりたいことには目をつむり、そこそこできそうなもの、人が褒めてくれるものばかりを選んできたのかもしれない。家族のため、お金のため、生きていくためにはしょうがないよな、という免罪符を心のどこかに隠し持って。もちろんそういう生き方を否定しているわけじゃない。誰もが本当にやりたいことをやるべきだ、なんて大上段からのたまうつもりもない。ただ僕自身は、たった一度の人生なのだから、ましてやあの親父の息子として生まれることができたのだから、好きなように生きたい!と、あらためて強く思ったのだ。

それは「好きなことして生きていく」という、眩しくて耳障りのよい言葉が持つ意味ではなくて、みっともなくても、笑われても、報われなくても、「自分の好きなように生きていく」ということであり、両者は似て非なるものだ。

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ともあれ四十を越えたおっさんが父の死を契機にようやく自分の本当の気持ちに気づいて、「バスケがしたいです」と泣き崩れた三井寿の気分である。

さて、そんな僕がこれから何をどうしていくのか、好きなように生きていくってどういうことか、というところは、もちろんここでは書かない。他人に宣言するようなものではないし、僕自身だってまだ掘り尽くせていないからわからないんだけど。

ただひとつだけ言えるのは、これからはもう、慌てたり、焦ったりして、道を誤ることはないだろうというひそかな自信だ。親父は最期に、自分自身を信じることができればなんでもできる、という、かなり確固たる信念のようなものを遺してくれたような気がする。僕に限らず、人は、落ちついて世界を眺めることができれば、誰だって好きなように本来の道を生きていけるはずだから。

そしてその、落ちついて世界を眺めて、他者の言葉を受け入れ、自分の気持ちを正直に感じて、すべてをバランシングして生きていく道を、多くの人に伝えることが、これからの僕の使命なんじゃないか、なんて大げさなことを思ったり思わなかったりしている。

もし今からひと言だけ親父に言葉を届けられるとしたら、「あなたのようになりたかった」と伝えたい。けっきょくは照れくさくて言えないかもしれないけれど。

ボブ・マーリーは「雨を感じられる人間もいるし、ただ濡れるだけの奴らもいる」と言った。落ちついて世界を眺めれば、すべてに意味はある。生きているあいだは親父に会うことなんて年に数回しかなかったけれど、いなくなってからは、親父はずっとここにいる。亡くなった人が胸の中に生きつづけるというのは、どうやら嘘じゃないみたいだ。