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ぼくは音楽を細部まで解釈できるほどの「いい耳」を持っていないので、ヘッドホンの音質にはこだわらない。

ずっとそう考えて生きてきたのだけれど、耳は鍛えることで良くなるということを知って、考えをあらためた。

「いい耳」というのは、音をインプットするハードウェアとしての「耳」と、その音を処理するソフトウェアとしての「脳」の連携を鍛えることでつくることができるという。つまり大雑把に言ってしまえば、音楽をBGMとして漫然と聞き流すのではなく、ひとつひとつの「音」にフォーカスし、漏れなく聴きとるのだという「意思」を持って集中して聴くだけでも、それなりに耳は良くなるのだ。音楽家の耳がいいのは、小さい頃からずっと音に対して真摯に耳をすませてきたからでしょう。

☞ 音楽は難しくない -耳はトレーニングで鍛えられる オーディオ逸品館の考え方

集中して聴くといっても、眉間に皺をよせて前のめりになって力む必要はない。ただ目を閉じて身体の力を抜いて心を傾けるだけで、全身で味わうことができる。それが音楽のもっとも素晴らしいところだもの。

ところがいくら耳と脳の連携を鍛えようと思っても、そもそもインプットする楽音がクリアでなければ、音の解像度は上がらない。ということで、ちゃんとしたヘッドホンを買おうといろいろ調べた結果、SONYのモニターヘッドホンの最高峰モデルとも言える「MDR-EX1000」というイヤホンにたどりついた。

実売価格が四万円近い高級イヤホンなのでしばらく迷ったが、ケーブルのみを交換することもできるので、一生、とは言わないでも長く使えるものとして、オーセンティック(正真正銘の本物)を求めて購入してみた。

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▲ SONYらしく高級感のある外箱。

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▲ 同梱物すべて。イヤホン本体に、2種類の長さのケーブル、10種類のサイズのイヤーチップに専用ケースが付いている。

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▲ ケースは質感も色合いもいいのだが、携帯用としてはやや大きいか。

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▲ すべての音をクリアに聴きとるには遮音性が命なので、細かい違いのサイズが用意されているのはさすが。

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▲ イヤホン本体。耳にかける部分はフレキシブルなので、自分の耳まわりに合わせて曲げて調整できる。飾り気のない無骨なデザインがクールだね。

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▲ ケーブルは着脱可能なので、長短2種類を使い分けられるし、断線してもケーブルだけ交換できるのは嬉しい。

モニターヘッドホンの最高峰

モニターヘッドホンというのは、低音が響くとか高音が効くとかいったヘッドホン自体による味つけを排除して、クセのない原音に忠実な再生を目指してつくられたもの。音楽を楽しむというよりは、音楽をモニター(監視)、分析、解釈するためのツールだと言っていい。

もっとも有名なSONYの「MDR-CD900ST」は、どこのレコーディング・スタジオにも置いてあるし、テレビ番組で歌の審査員たちが耳に当てているのもだいたいこれじゃないかな。

本命は友人が使っていた姉妹モデルの「MDR-EX800ST」だったのだが、ショップで視聴した際の直感でEX1000を選んだ。この辺はもう良し悪しではなく好みの領域なので、あれこれ比較するのも楽しみのひとつだろう。

「音楽」の中に入りこむ、という初めての体験

「あ……」EX1000で初めて音楽を聴いたとき、誇張でなく本当に、思わず声が出た。そしてニヤけた。

耳なんか鍛えなくても、あらゆる楽音が別々にクリアに聞こえてくる。ノラ・ジョーンズのスモーキーな歌声、やわらかなベース、ピアノ、エレキギター、パーカッション、コーラス、音がそれぞれ別の場所から独立して響いてきて、絡み合うのだが、混ざり合うことなく、ひとつの楽曲が構成される。解像度とか定位感とか呼ばれるものだが、まさにこれがモニターヘッドホンの威力なのだ。

今までは「音楽プレーヤーから音楽が耳に届く」という感覚だったのが、EX1000を使うと「音楽を演奏しているステージに自分が立っている」ような感覚に近い。聴くのではなく、入りこむというような。

ただ、長く聴いてきた好きな曲なんかを聴くと、物足りなく感じる場合もある。原音に忠実なせいか、迫力に欠け、ダイナミックさが失われたような印象を受けるが、耳が慣れていくうちにそれは解消されていく。濃い味つけのジャンクフードに慣れていた舌が、和食の繊細な出汁の味わいを知っていくようなものかもしれない。

EX1000で聴いた後にbeatsのヘッドホンで同じ曲を聴いてみると、音と音が境界線なく、ぐっちゃりと混ざり合ってしまっているのがよくわかる。beatsはbeatsでポップでスタイリッシュでプロダクトの思想が違うから、あれはあれで好きなんだけどね。

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▲ EX800STを使っている友人に言われて、自分の耳に合うイヤーチップを慎重に選んでみたら、音の響きが格段に良くなった。ここはきちんと選ぶべきところ。ぼくは今は中にウレタンの入ったノイズアイソレーションというタイプのLサイズを使用している。

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▲ 今まで使っていたbeatsランニング用のPlantronicsもワイヤレスなので、ケーブルは正直鬱陶しい。iPhone7だとLightningアダプタまで噛ませなければならないのでなおさら。それでもそのわずらわしさを凌駕する魅力があるんだけどね。

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▲ ケース内の仕切りは外して入れている。

音楽は、気持ちいい……。

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EX1000に対する感慨をひとことで表せば、気持ちいい……。音を楽しむのではなく監視分析するのがモニターヘッドホンであるはずなのに、結果的には、他と比べようのないほどに気持ちよく、音楽が文字通り楽しくなる。「音を楽しむとはこういうことか」と、まさに生まれて初めての体験である。

何より、ぼくはこのイヤホンを手に入れてから、音楽を聴く姿勢が変わった。今までは電車での移動中などに世界の雑音から遮断するために流し聴いたり、生活の中に自分のムードをつくるために流していただけだったものが、今は音楽にまっすぐ向き合い、集中して聴く場面が多くなった。

いつもそうやって前のめりに聴いているわけではないが、そういう場面が増えることで、流し聴くときにも無意識に音に集中しているような気がするし、そうやって楽しんでいるうちに、耳だって自然と鍛えられて、もっといろんな音を拾えるようになるのかもしれない。

高級で高音質のヘッドホンというものは、いい耳を持った人だけが使うべきものだと思っていたが、そうではなくてむしろ、ふだん音に無頓着な人ほど、この未知なる音の響きと調和を味わうべきなんだろうと思う。やっぱり、いいものはいいっす。