Buckwheat Flowers / 蕎麦畑(そばばたけ)Buckwheat Flowers / 蕎麦畑(そばばたけ) / TANAKA Juuyoh (田中十洋)

ときどき、中島らものエッセイを読みたくなる。
僕は作家のエッセイが好きでいろいろ読んできたけど、心がほっこりするという点で、中島らもの右に出る者はいないと思っている。
日常的で、人間的で、くすっと笑えて、だけど最後にほろっとさせる。そんな肩の凝らない話がたくさん詰まったエッセイ本がいくつもある。
『愛をひっかけるための釘』とか『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』とか、タイトルがステキなものが多い。

『獏の食べのこし』というエッセイに、内田百閒の話が出てくる。
内田百閒というのは明治生まれの小説家・随筆家で、夏目漱石のお弟子さんだった人だ。かなりの頑固じじいだったらしい。

百閒は飼っている鳥がエサを食べているところを見ながら「いつも同じものばかり食べてかわいそうだのう」と思っていたらしいのだけれど、そういう自分も、毎日お昼には必ず近所の同じ蕎麦屋の蕎麦を食べていたのだそうだ。

冬はかけ蕎麦、夏はざる蕎麦。 神田方面に用事があって、有名処の蕎麦を食べる機会があっても、家に帰っていつもと同じ駄蕎麦を食べていたという。

同じものばかり食べていたら飽きてしまいそうなものだけど、毎日食べていたら、逆にそれじゃないとダメになってしまうらしい。

最近、そんな百閒じいさんの気持ちもわかるような気がしてきた。

僕は毎朝納豆ごはんを食べる。
茶碗に軽くごはんをよそって、白くなるまでよくかきまぜた納豆を一パックかけるだけ。ネギや卵も入れないし、味噌汁もない。
たまに家人が納豆を買い忘れると、朝から軽いパニック状態になる。
何を食べたらいいのかわからなくなるのだ。
昨晩のおかずが残っていても(たとえそれが納豆より好きなものだったとしても) 、どうしても納豆が食べたい。心と体が納豆だけを欲しているのだ。

音楽もそう。僕はランニングをするときに「ラン」というプレイリストを聞きながら走るのだけれど、いつものペースで走って、いつものポイントで、いつもの曲が流れてこないと、なんかちょっと不快になる。

安定と平穏を欲しているのは、なんか年寄り臭いなあ、とも思う。
もっともっと新しいことにチャレンジして、変化を求めていたいとも思う。
だけど、こういうのだって、確実にひとつのしあわせだよな、とも思う。

朝起きると太陽が昇ってきて、子どもたちが笑っている。
納豆ごはんが美味しくて、イヤフォンから甲本ヒロトのシャウトが聞こえてくる。「生きているのが素晴らしすぎる♬」
仕事へ行って、お弁当を食べて、家に帰って、家族を抱きしめて、みんなで夕飯を食べる。

そういう毎日の営みに、ときおり変化が訪れて、僕らの日常はゆるやかに進んでいく。

将来の確固たる目標や夢に向かって、一分単位で時間を区切ってタスク管理をするのも大事だけれど、 昨日と同じ今日を生きられるということの、ただそれだけで、なんと素晴らしいことか。

明日もいつものように目を覚まし、いつものように納豆を食べて、いつものように元気に働きに出られることに感謝したい。