fushiginamisaki

冒頭からイヤな予感がしたんです。

海を望む岬のシーンからはじまるところは美しかった。静かでやさしい弦楽器のような物語を味わえるのだろうという予感すらありました。

けれど岬にあるカフェの玄関から吉永小百合さんが出てきた瞬間、うわ、これはヤバいんじゃないの!と不吉な予感がよぎってしまいました。

 

なぜなら小百合さんの着ている服が、どう見てもさっきスタイリストさんが用意したセンスのよろしいまっさらでピッカピカのまったくリアリティのないお洒落な服だったからです。

これ、テレビ局とか広告代理店とかががんばって制作した日本映画の大作といわれる作品にありがちなパターン。キャストとかにお金かけてるから細部のリアリティに気を使わない大味な作品で、わかりやすく言えば『永遠の0』なんだけど、冒頭からそんなきな臭さを嗅いでいたら、はたして予感は的中してしまいました。

ファンの方、特に試写会場のほとんどを占めた年配の皆様には申し訳ないけれど、とにかく吉永小百合さんがひどかった。

小百合さんの台詞と動きのひとつひとつが急ブレーキになって、物語のテンポがプツンと途切れてしまうんですよ。ちょっとした会話で小百合さんがうなずくだけのシーンでも、急にアップになって、やたらと時間をかけてうなずくもんだから、観ているこっちは引きずられてズッコケちゃう。

これどうしてなんでしょうかね?やはり天下の吉永小百合さんご自身が原作を気にいって企画した作品だから、監督が気を使ってるんでしょうか?

だとしたらこの監督最低ですよ。今さら吉永小百合さんの演技力をどうこう言うつもりはないですけど、あの日本女性の鏡みたいな大女優のオーラを消し去って可愛らしい洋服着せたお人形さんみたいにしてしまったのは、紛れもなく監督の責任なんですから。

などと辛らつなことを書いてしまいましたが、僕は基本的にどんな映画でも楽しもうという姿勢ですし、村上春樹さんも「どんな映画にも見るべきところはある」と言っているので、そういうお話もしましょうか。

まず日本人の原風景なんでしょうか、小さな港町の風景や結婚式やお祭の風情、地域の皆さんが酒飲んで酔っぱらってる姿なんか見ると、心にぐっと迫るものがあります。岬のカフェから見える景色も美しくて、嗚呼日本人でよかったなあ、などと思ったりもしました。歳を重ねると邦画を好む人が多いのはこういうところに理由があるのかもしれません。

あとやっぱりスゲエ!と感心させられたのは、途中から出てきた竹内結子さん。

それまでリアリティに欠けた紙芝居のような世界観だったのに、彼女が港町に帰ってきた瞬間に、突然世界が現実に引き戻されるんです。逆に言えば、彼女が映っていないと、すぐにまた紙芝居に戻っちゃう。それくらいの存在感と演技力を発揮していました。

地味ながら大作ですから豪華キャストなんですよ。阿部寛に笑福亭鶴瓶が脇を固めて、井浦新とか笹野高史とか味のある役者も出てる。でも残念ながら阿部ちゃんもツルベエも輝きを失っちゃってました。『ディア・ドクター』のときのツルベエはどこいっちゃったのー?というくらい。

エンドロール眺めてたら、劇中に出てくるギターやメインテーマはあの世界的ギタリストの村治佳織さんで、小百合さんが読んでいた詩は金子みすゞさん、題字が和田誠さんだったりして、とにかくあらゆるところで豪華キャスト!なのにこの仕上がり!ぜんぜん勝てないときのレアルマドリードを思い出しました。

吉永小百合さんが悪いわけじゃないんですよ。映画はやっぱり良くも悪くも監督がすべて。最初の方では、もっと素敵な音楽を多用してアメリみたいに思いっきりファンタジックにすればいいのに、とかも思ってたんだけど、どうやら現実的な物語にしたいみたいだし、監督の意図が中途半端で僕にはちっとも伝わりませんでした。

もっといいところ書きたかったんですけどね、これが鑑賞後すぐに書いた紛れもない僕の感想です。あとこの作品、モントリオール世界映画祭というやつで審査員特別賞をもらっているみたいですから、じつは僕に見る目がないだけでじつはとてもいい作品かもしれません。イヤミじゃなくて映画ってそういうもんですから。

千葉の海は日本を感じさせながら、とても雄大な印象で素敵でしたね。

あと小百合さんがカフェの前で海を眺めるシーンや、阿部ちゃんが焚き火をしているシーンなんかを見ていると、僕らは毎日忙しなく生き急いでいるなあ、というのは強く感じました。ジョブズやゲイツもやっていたように、もっと自分たちでゆっくりした時間を用意して、自分の中に世界を見つめる「隙間」を作っていきたいなあと。15点。