これって禅の言葉で言う「遊戯三昧(ゆげざんまい)」ってのと同じなんですよ。
禅僧っていうのは、毎日、料理や洗濯、掃除なんかの日常のすべてを自分でやるんだけど、それを仕事だと思っちゃいけないんだって。つらい仕事だとか修行だとかじゃなくて、ぜーんぶ「遊び」だと。
我を忘れて、今目の前にあることに没入して、最大限楽しみなさいよーっていうのが、禅の教えなんですね。厳しいんだか厳しくないんだかわからんね禅(笑)。
僕らの生活で言ったら、仕事も家事も育児もなんもかんも「やらなければいけない」と思ったらつまんないよね。でも、ぜーんぶ遊びじゃんって思ったら楽しくなる。遊びを徹底的に楽しむには本気になった方がいいじゃん。
だからやっぱり所さんの言うとおり「楽しいことをやる」んじゃなくて「今やっていることを楽しむ」なんだよね。
日本には「休暇」って発想はなかった!
そんでおもしろいのが、もともと日本には余暇とか休暇とかの発想ってなかったんだって。生活とは日常と祭りの繰り返しであると。それが明治時代に西欧から休暇っていう考え方が入ってきちゃったから、「労働はつらいもの」ってなって、「働いたら休む」という概念になったそうですよ。
つまり「仕事」も「遊び」も「休み」もぜーんぶ一緒で、働きながら遊びながら休むことができるんですね本当は。マジか!
たとえば僕なら、朝起きて書斎に入ったら、頭に降りてきた言葉を文章に書き出すんだけど、それって僕にとってすんげー楽しい「遊び」であるし、でもそれをブログやnoteや外部メディアや書籍に載せたら「仕事」でもあるし、頭の中がスッキリする「休み」でもある。
文章書くのに疲れたら下へ降りていって洗濯物を干すんだけど、それだって家事という「仕事」であると同時に、単純作業をすることで脳がリフレッシュする「休み」になってるし、いかに効率的に干してやろうかってゲーム要素を楽しめば「遊び」になる。
遊んでたらそれが仕事になって、しかも休めてるとか、こんな楽ちんでえーのんかーい!って思うよね。でもえーんですわ。そこに許可出せたら、あとは勝手にコロコロうまく回るよね。
さてさて、そう考えたら何をやったっていい気がしてくるジャマイカ!ってことは、まずはなんでもいいから好きなことやろーってことだよね。さーて今日は何して遊ぼうか!
Comments by 茅ヶ崎の竜さん
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