先日、コンサルタントやコーチングなどで活躍されているお友だちにお会いしてきました。
心屋仁之助さんも学んだNLP(神経言語プログラミング)という実践心理学を本場アメリカで学び、個人や企業を相手に様々な道しるべを与えているスゴイ人です。
僕はいろんな方の相談に乗ってはいますが、人生に紆余曲折いろいろありまして、自らの体験をもって勝手に「悟って」しまった類なので、きちんと学術的に心について学んだことがないんですね。
なので、はじめのうちは彼が教えてくれるNLPの基本的な概要や、その元になっているゲシュタルト療法などのお話が、どうもアカデミックでオカタイ話に聞こえてしまったんです。
けれどだんだん話が深くなってきたという頃、彼がこう言ったんです。
「でも、けっきょくのところは、愛なんですよ」
僕は猫が驚いて跳びあがるように身体をびくっとさせてしまいました。
「愛……なんですか……?」
「そう、行き着くところはそこなんです」
さんざん専門的な話を聞いていたのに、やっぱり最後はそこなの?ジョン・レノンなの?
僕は別のことを思い出しました。
若い頃傾倒していた花村萬月さんという作家が、エッセイで
「けっきょくは、愛だよ、愛」
と冗談めかして言っていたんです。
花村さんと言えば、幼少期からそうとうハードでエキセントリックな人生を送られた方で、彼が描く小説も、性や暴力が前面に押し出されたどちらかといえば倒錯した愛に満ちているのです。ひとことで言えばすげー怖いおっさんです。
そんな決して口元がお綺麗とは言えない彼が、当時流行していたテレビCMの真似をして「愛だよ、愛」と言っているのを見て、僕はやっぱり猫が跳びあがるように驚いてしまいました。
けれど今なら、僕もなんとなくですがわかるんです。
愛の定義とか語るつもりはないけれど、今の自分の毎日の言動の根底にあるのは、やっぱり愛なんだろうなという実感があります。
風邪をひいても誰かの相談に駆けつけたいという気持ちの底にあるのは、お金とか将来へ向けた打算ではなく、無意識の衝動ですから。
けっきょく、愛なんだ、って思うと、怖いものがなくなるんです。
道に迷っても、やり方がわからなくても、愛があればいいんだと思えれば、自分を信じられる。余計な情報に惑わされずに、自分の中に答えがあるってわかる。
よかったなあ、愛で。愛だよ、愛。