朝から疲れていた。いや、三日ほど前からずっと、心身ともに疲れが取れず、どんよりした日が続いていた。

それでもいつもの時刻に起き、家事をこなし、海沿いを走り、仕事をした。

昼になったが、腹は減っていなかった。気持ちも上がっていない。おちついているといえばその通りだし、沈んでいるといえばその通りだった。

買物と用事を終えた家人が帰ってきた。テスト期間で長女も昼すぎに帰宅した。どちらでもよかったのだけれど、ふだんあまり一緒に外食に行かなくなった長女がめずらしく行きたいと言うので、三人で昼食を取りに出かけることにした。

R0009751

駅前にある〈茅ヶ崎冷麺舎〉は先月オープンしたばかりの冷麺専門店であるという。以前ボクがコンサルや仕事で使っていたサザンビーチカフェの姉妹店のようだ。

オープン直後らしく店の前には数人の待ち客がいた。ボクらは店頭のメニューを眺め、あれこれ想像し、なにを食べるかを考えた。

メニューは三種類あった。基本の〈茅ヶ崎冷麺〉、〈汁なしビビン麺〉、〈牛鶏魚介の昆布水つけ麺〉。

R0009754

ボクはいつも、とくに初めて訪れる飲食店では、いろんな種類のメニューを食べたいので、家族でなるべく違うものを注文してシェアしたいと考えていた。

対して家人は、子どもの頃から、家族の他のメンバーが何を頼もうと関係なく、自分の好きなものを注文するという文化で育ってきた。

「どれもうまそうだなあ。ぜんぶ頼みたいなあ」

ボクがいつものセリフを呟くと、家人がめずらしく、じゃあ三種類頼んで、みんなで食べよう、と言った。けれどボクは、いいよ、それぞれ好きなものを頼もうと言って、結局、三人とも〈茅ヶ崎冷麺〉を注文した。

R0009775

盛岡冷麺の流れを汲むモチモチした太麺に、出汁のきいたスープ、甘辛いマンゴーのキムチ。暑い季節にはぴったりの爽やかな味わいだ。だが、何かが足りない気がした。

何が足りないのだろう、いやでもこれはこれでとてもおいしい、と思いを巡らせながら、歯ごたえのしっかりした太麺を啜っては、低温調理のレアチャーシューを噛みちぎり、コク旨辛みダレを足したスープを流しこんでいく。

R0009781

ああ。そうだ。肉だ。肉を食っていないから、口の中に、冷麺を食べる前の、あの、脂っこさがないのだ。

これまで、冷麺だけを単体で食べたことはなかった。

いつも、カルビやらハラミやらをたらふく食い散らかして腹がはちきれんばかりになっているところへ、冷麺を流しこんで味わっていた、あの脂の抑圧から解放されるようなさっぱり感がなく、食べ始めから冷涼な爽快感に包まれるから、何かが足りない気がしたのだった。頭の中に新しい回路が開いた気がした。

朝から涼しい日だったが、外へ出るとむわっとした熱気に包まれた。いつの間にか太陽が照りつけ、車の温度計は三十六度を示していた。

次は〈汁なしビビン麺〉か〈牛鶏魚介の昆布水つけ麺〉を食べてみようと思い、それを家族に伝えようと思ったが、けっきょく黙って車を運転した。

最近、歳を重ねたせいか、家族との時間を積み重ねてきたせいか、__すべてを伝え合う必要はないのだなあ、と感じることが多くなった。黙っているのに、わかりあう境地、というのか、あるいは、無理やりわかりあわなくとも、一緒にいられるのが、家族なのかもしれないと。

家に帰ると、なぜか気持ちがすっきりしていた。疲れは消えていた。猫を撫で、本を読み、仕事をして、昼寝をした。ソファで目覚め、まどろみながら、ボクは、やっぱり足りないものなどひとつもないじゃないか、と思った。