最後は泣かされたけど、正直、前半は胸くそわるかったんです。うんざりした。

冒頭から、カメラがくるくる回ったり、ぐらぐら揺れたり、ほとんど固定されずに流れるようなカメラワークで、酔いそうになる。

さらにシーンによって画面サイズが大きくなったり小さくなったりして、多彩な虹色が踊り、光の明暗と明滅、精緻な音響効果、印象的な楽曲と、とにかく映像効果と情報量が多くて、脳が忙しい。

こちとらストーリーを丁寧に追いかけたいのに、ちっともおちつかない。

__というのが、まさに監督の意図であるということに気づくのは、後になってからなんだけど。

で、何もかもうまくいっていた主人公の日常が破綻しはじめると、その墜落速度が加速するにつれ、映像表現もさらに強く激しくなっていく。

だんだん疲れてきちゃってね。最近はこういうのばっかりかよ、とうんざりしちゃった。

過日に『ミッドサマー』っていう白昼ホラーを見たとき、体調がわるかったのか、動悸がして、気を失っちゃうんじゃないかと途中で映画館を出ようかと焦った経験があったのだけれど、あのときと同じで、なんていうか、映像表現で心を揺さぶるというよりは、身体、脳にダメージを与えることを意図したようなやり口なんですね。

映画というのは常に新しい表現を編み出して今日まで進化してきたわけで、若い頃初めてエヴァンゲリオンを観たとき、何じゃこりゃあ!っておったまげたし、最近ならノーラン作品とか、ゼロ・グラビティとか、バードマンとか、斬新で実験的な作品に感動したりするんだけど、それとはすこしラインの違う感じで、本作は脳にダメージを与えて不安感を煽る心理実験のようなやり口に感じられて、ちょっと嫌気がさした。

たぶんボクがおじさんになって、物事をじっくり見るようになったことや、反射神経とか諸々鈍ってきたというのもあると思うんだけど。

まあとにかく前半はそんな激しい映像音響心理効果が続いて、物語は最悪の悲劇を迎えるわけです。

で、そこから悲劇を回収するかのような後半が始まるわけだけど、まあ結論から言えば、この前半にうんざりして嫌気がさして、何が傑作だよバカヤローと胸の裡で悪態をついてしまったのは、監督の術中に見事にハマったということなんですな。チクショー。

じつにうまいですよ。主人公タイラーが部屋で苦悩するシーンでは、あえて部屋を狭く撮影することで、彼を傍観しているのではなく、同じ部屋で彼の苦悩を分かち合っているような、あるいは自分が苦悩しているような感覚をもたらすし。

どアップを多用することで、人物の心理をこれでもかってくらい突きつけてくる。これはテレビのバラエティとかでも見られるけど、どアップってのはスゴく共感の効果がある。

あと、会話シーンで、一方の顔しか映さないとか(相手はどんな顔して聞いているかわからない不安)、話しかけてきた男をシルエットのみにして顔を見せないとか、いちいち不穏を見せるのがうまい。

そういや冒頭の車のシーンも、運転してる人物が喋ってばかりでぜんぜん前を見ないし、前の車との車間距離がやたら近くて、物語と関係のないところで、不安を煽るんですね。

だから、後半はすべてを疑って、すべてをネガティブに捉えてスクリーンを追うわけです。

コイツはヒドい奴なんじゃないかとか、この後ヤバいことになるんじゃないかとか、前半のうんざり展開によって、完全にネガティブ思考に陥ってるわけですが、それこそが監督の狙いなわけです。

冷静に考えてみると、主人公の不幸って、じつはそんなに特別ではなくて、スポーツで挫折して、恋人と破局して、アルコールやドラッグが堕落に拍車をかけてって、どこにでもある月並みな悲劇なんだけど、巧みな映像表現で移入共感してるもんだから、ぐいぐい哀しみに引きずり込まれて、不安に陥って、鼓動が速くなる。

タイトルの『WAVES/ウェイブス』__人生は波のようなもの。

それは、ボクも自分の来し方を振り返って実感しますね。

スゲえ身も蓋もない言い方をすれば、__人生、いいこともありゃ、わるいこともある。

それを、リアルに突きつけてくる。ホントそうだよね。

ボクらは自分の願望を達成するために、気持ちよく笑って暮らすために、あれこれ画策したり努力したりするわけだけど、どれだけ人生をコントロールしようとしても、結局は人生に訪れる〈波〉に流されてるだけなんだって。

だからもちろん、いかにいい〈波〉を見つけ、それをキャッチするか、ってのもあるんだけど、そういうの引っくるめてね、大いなる〈波〉の上だなあって、歳を重ねてよく思います。