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いつも言うんだけど、いい映画っていうのは、冒頭のシーンからそういう ”予感” を感じさせるんですね。

イーストウッドの『グラン・トリノ』とか、西川美和の『夢売る二人』とか、サスペンスやアクションのような派手な“つかみ”じゃなくて、静かな立ち上がりなのに、「おや、この映画はちょっと違うぞ……」と思わせる、ある種厳かな雰囲気が、『メッセージ』という映画にも、やっぱりあった。

未知との遭遇のSFなんで、哲学的あるいはスピリチュアルな方向になるのは想像できたんだけど、それにしてもうまくこしらえたバランスのいい作品でした。

ちなみに原題は「arrival」。最も浸透しているのは「到着」という意味の単語だが、「訪れ」「誕生」という意味もある。彼らが訪れて、何が生まれたのか、というのもこの作品のメッセージなのだろう。

いろいろ感じるところはあったけど、僕がこの映画を見ながら深く考えてしまったのは、「人それぞれ、見ている世界は違うんだ」っていう、至極あたりまえのことです。

同じ世界、同じ空間、同じ境遇で、同じ課題__たとえば未知の地球外生命体の来訪の目的を知るといった特別な事情じゃなくても、子どもの学校のことだとか仕事のことだとかの小さなことであっても、人それぞれの立場や人格によって、見えている世界はまったく違うんだっていうことが、あらためてぐさりと刺さりました。

たとえば先日、朝起きたらすんばらしい天気で、ぐっすり眠れたので気分爽快で、なんて爽やかな一日なんだ!ってウキウキしながら階下に降りていったんだけど、ママちゃんは朝のあれこれで忙しなく働いていて、子どもたちも眠くて不機嫌だったりする。その”爽やかな朝”っていうのは、あくまで僕が見ている世界であって、家人や子どもたちにとっては”しんどくて忙しない朝”だったんですね。

そういう「見ている世界」の相違を乗り越えて一緒に暮らしていくためには「コミュニケーション」が必要不可欠で、そのコミュニケーションとはつまるところ「相手の目から見た世界を想像すること」であると。

最近見ている『小さな巨人』っていうTVドラマでも「相手の立場で考えてみた」ってセリフがよく出てきてて、それって幼稚園で習うような、社会で生きる人としての基本的なことなんだけど、けっきょくその基本的なところを、大人こそ忘れてしまうのかもしれない。

ふだん、自分はこの人生で何を為したいのか、なんのために生まれてきたのか、というようなところにばかり思考を引っぱられがちな僕だけれど、そんな小難しいことはさておき、僕がいちばん愛してるのは家族じゃないか、間違いなくそうじゃないか、ってなんだか恥ずかしく感じました。僕は今まで何を見てたんだろうって。大きな将来とか目的とかばかりに目が行きがちだけど、そんなことより今目の前だろうよって。

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地球外生命体から、時間の流れを超越した「言語」を教えられて、未来を予見できるようになった主人公と違って、僕らには先のことなんてわからないけれど、たったひとつ、何人たりとも逃れられない、残酷でたしかな未来を僕らは知っている。

それは、いつか必ず、別れがくる、ということだ。生き別れにせよ死に別れにせよ、どんなに愛する人でも、大切な人でも、必ずいつか別離と対峙しなければならない。

であるならば、自分が何を為すべきなのか、なんてことに心を砕いているヒマがあったら、もっともっと、今目の前にいる大切な人を見つめよう、もっと彼らの話を聞こう、もっと彼らが見ている世界を見よう、と思う。

未来を予見できるようになった主人公は、胸が張り裂けそうなほどの残酷な未来が訪れるのをわかったうえで、そちらの人生を選択する。『いま、会いに行きます』とパターンは似ている。『わたしに会うまでの1600キロ』という作品も、最後に同じようなことを悟っている。

相手が宇宙人であろうと、国家間であろうと、家族であろうと、恋人であろうと、お互いが愛情を孕ませながら共存していくための最大のツールはコミュニケーションであり、その根っこは、繰り返すけども「相手が見ている世界を想像する」ことなのである。想像で足りないところは「言葉」と「時間」がどうにかしてくれる。

余談だが、「恋」とは、人生の時間の流れに垂直に立つ「刹那」の「感情」であり、甘く眩しいけれど一瞬の花火である。対して「愛」とは、恋の花火の光明が消え去った後から始まる、静かで地味だけれど長く永く続く、ぬくもりのことだ。恋に焦がれて熱い口づけを交わしているときに相手の顔は見えないが、相手の顔と相手が見ている世界を一緒に見るのが、愛ある生活と言えるだろう。

破綻寸前に見える人間関係であっても、じつはそこにだって「言葉」を交わす「時間」は用意されている。そのツール(武器)を、使うか使わないか、だけじゃないだろうか。

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心理の世界で言われる「思い込み」「刷り込み」「前提」というのはすべて、”自分だけが見ている世界”のことだ。その苦しみから逃れ出て、世界はもっと明るく幸福に満ちているのだと気づく者は皆、”他者が見ている世界”を知ることができたのだろう。僕もそうだった。

僕らはいつか必ず、死ぬ。あるいは先に、愛する者が死ぬかもしれない。けれどその日まで、僕らには本当の「言葉」をかける「時間」がある。

本作『メッセージ』で、人類の運命を左右した「言葉」は、中国軍の将軍の亡き妻が死に際に口にしたメッセージだった。それは作品中では明らかにされないが、僕にはその言葉がわかった気がした。あるいはそれは間違っているのかもしれないけど、そんなことはどうでもいいのだった。

ぶわっと涙が溢れて、僕は映画館を出ると、すぐに家内に電話をかけて、その言葉を伝えた。これまでもいろいろあったし、これからもいろいろあるだろうけど、言葉と時間さえあれば、僕らはその来たるべき日まで、どのような苦難をも乗り越えて、めいっぱい愛を抱いて生きていけるだろうと思った。