グラン・トリノ [DVD]
観終わってもいないうちに思わず唸ってしまう映画というのがある。

かつては『シャイニング』『スモーク』、タランティーノの『レザボア・ドッグス』などがそうだった。傑作というのは、始まってしばらくすればそれがわかるものだ。世界観や演出、役者のハマリ具合など特徴は様々だが、映画が始まって間もないうちに、この映画はとてつもない!という予感が沸きあがってくる。

『グラン・トリノ』はまさしくそんな傑作だった。

いつも言うことだが、表現は予備知識や先入観なしで触れることが望ましい。あなたがすこしでもこの作品を観たいと思うのならば、この記事の続きは読まずに鑑賞してください。観てから読んでくれれば僕も嬉しいです。

冒頭は笑いの連続だった。

イーストウッド演じる帰還兵ウォルトがあまりにも偏屈で、笑っちゃうくらい口の悪いじじいなのだ。その頑固さと腹の立つ言動はむしろ清々しいほどで、自分の近くにいたら嫌だけど、こういうじじいがいてもいいよな、というふうには許容できてしまう。このへんの感覚は翻訳でも伝わるけど、英語がわかればより楽しめるだろう。

行きつけの理髪店でも、店主に向かってイタリア野郎と罵って、逆に、黙れポーランド人などと言い合うのだけれど、これは彼らにとっては普通の挨拶なんだよね。こういう人がけっこう身近にいるのですごく笑えた。

それにしても序盤からイーストウッドがカッコよすぎる。ショーン・コネリーなどもそうだが、若い頃よりも歳をとってからのほうがカッコいい役者というのがいて、イーストウッドはまさにその代表だろう。彼のクールさがなければ、こんな偏屈なじじいには感情移入できなかったかもしれない。

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主人公ウォルトは、とにかく口が悪くてムカつくじじいで、昔ながらのアメリカの典型的な家に住んで、愛犬のゴールデンレトリバーと孤独に暮らしている。

界隈には同じような家が建ち並び、玄関にはポーチと芝生の庭。広い裏庭にガレージもあって、僕からしたら理想的な家なんだけど、きっとこれってアメリカでは普通の家なんだろうな。

戦時中の残虐な過去を引きずっているウォルトは、毎日そのポーチに置かれた椅子に座ってビールを呑みながら煙草をくゆらせている。妻に先立たれ、息子たちにも老人扱いされるウォルトの孤独な愉しみといったところだろうが、それはそれで幸せな景色に見える。

誰にも心を許さない偏屈じじいだが、ひょんなきっかけで隣家のアジア人家族と交流を持つようになる。利発で勝ち気な娘スーに誘われてホームパーティに顔を出したり、内気な弟タオと触れあうことで、ウォルトが次第に心を開いてく過程は微笑ましく、のどかな幸福感に包まれている。

あいかわらず差別的な言葉も含めて口汚いじじいなのだが、非道い台詞もアットホームな雰囲気に包まれるとむしろ好意的に聞こえるから不思議だ。人はいいんだけどやたらと口の悪いじじい、というのは、古今東西微笑ましい存在なんだね。

アジア系家庭のホームパーティがまたとても楽しそう。春巻きやチキンの料理などがとても美味しそうで、お裾分けを拒否していたじじいもいつの間にか受け入れてしまうほど。美味しいものには、人を変える力があるよね。

偏屈じじいが、アジア人家族のあたたかさに触れて心の壁を壊して融和していく様は、観ていて幸せな気分になる。ああ、よかったなあじじい、幸せそうだなあ、というのどかな感慨に浸るわけだが、もちろんそのまま映画が幕を閉じるはずもない。

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ウォルトが余計なことをしたせいで、アジア人家族の家はマシンガンで乱射され、スーはレイプされて無残な姿で帰宅する。さっきまでが微笑ましくのどかな展開だったので、その残酷な風景との対比に心が震える。刺さる。痛い。痛いのだ。アイスピックで刺されたような激痛が走り、嗚呼と溜息が漏れる。

同じくイーストウッド監督・主演の『ミリオンダラー・ベイビー』の哀しすぎるラストシーンを思い出した。クリントよまたか、あんな切ない気持ちはもうたくさんなんだよ。

ウォルトは怒りに震えるタオを地下室に閉じ込め、自分一人で復讐を決行する。実の息子より心の通ったタオの将来を守るために、独りで片をつけにいくその姿に目頭が熱くなるが、それ以上にウォルトがどうやって復讐をするのかが気になってくる。

さすがにそこは書かないでおこう。

残虐な過去への後悔とタオへの愛情を背負ってウォルトは贖罪を遂げるわけだが、後に残ったのは哀しみよりも清々しさに近い感情だった。僕は唇を噛みしながらスクリーンを見つめていたが、彼はきっと笑顔だったのではないだろうか。

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古き良きアメリカと、それを愛しつづけた偏屈じじいの象徴とも言えるビンテージカー「フォード・グラン・トリノ」はタオに受け継がれ、水辺の道を走り抜けるシーンでエンドロールが流れる。その水際のブルーと木々のグリーンがトイカメラで撮影したような淡い色彩ですごく美しいのだが、そこにJamie Cullumのハスキーボイスがかぶさった瞬間に、僕はえもいわれぬ感動に打ち震えてしまった。

この内容、ストーリーで圧倒しておきながら、最後にこの美しい風景とピアノの旋律で追い討ちをかける。言葉にすると泣きたくなるほど陳腐だが、まさに珠玉の傑作だと言っていいだろう。

そして物語とはやや関係のないところで、僕は生きる希望というものをこの映画からもらった気がする。僕という人間は、今ここにしかいない、誰とも代わりのきかない僕なのだ。そして最終的に僕の人生は僕だけのもので、優れているとか劣っているとかお金持ちだとか人気者だとか、そういう他人との比較はまったく無意味なのだということが、じんわりと、だが奥深くまで、心に沁みてくるようだった。

さあ、自分らしい人生を歩もう。愛する人と美味しいものを食べて、幸せになろう。ときには懺悔をして、自分や隣人を許しながら。

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