「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなものだ」__アラン(幸福論)
できることなら、毎日笑っていたいものです。
雨の日も風の日も、けなされても裏切られても、心にいつも太陽を抱いていたいけれど、移り変わる天気のように心模様もころころ変わっていきます。
だけど僕ら人間は、自分の意志で、いつだって太陽を取り戻せるんですよね。
空を覆う暗雲
世界は不条理に満ちています。
自分のことしか考えない人々が我が物顔で街を歩き、肩がぶつかっても謝るどころか悪いのはそっちだと憤り、その土地は俺のものだと言い張り、関係のない人やモノを傷つけ、弱い者がさらに弱い者を叩く。
残念ながら街へ出てもニュースを見ても、イヤになる物語ばかり目についてしまいます。
だけどその度に心に小さな傷を負って、すこしずつ下を向いていたら、気づいたときには自分の靴しか見えないようになってしまうのです。
自動運転をやめませんか?
僕ら人間の感情は、内外の刺激にきちんと反応するようにできています。
楽しいことがあれば嬉しくなるし、つらいことがあれば哀しくなる。喜び、怒り、哀しんだり、愉しんだりして、僕らは生きていきます。
人生のあらゆる局面で一喜一憂する人々は、じつに愛らしく人間味のある姿に見えますが、もっと大切なのは、感情の自動運転をやめて、何があっても心に太陽を抱きつづけることじゃないでしょうか。
ものは考えようとはよく言ったもので……
僕らは、敵の多い外界で生きのびるために物事を悲観し、警戒して取り組むようにできています。だから、そのままの状態では自然と「悲観的」になってしまうのですね。
あらゆる現象に力強く「楽観的」に立ち合うのは、「意志」の力なんです。
心の太陽は、自分で意識的に作り出さなければいけないということです。
何もしないで世界の移ろいを眺めていては、滅入るばかりです。
どんなことでも、考え方でどうにでもなりますから。
同じ心を伝える言の葉
「世の中には幸福も不幸もない。考え方でどうにでもなるのだ」__シェイクスピア
「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」__山岡鉄舟