映画『バードマン』と『セッション』はどちらが上なのか?という不毛で楽しすぎる問いについて(ネタバレなし)

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毎月参加してる巨大なオフ会「映画ファンの集い」で、『バードマン』『セッション』について熱く語ってきました。

同じ年に公開されたこのとてつもない二本の傑作は、芸術への執念やドラムミュージックなど、似ているところがいくつもあって、どちらにも熱狂的なファンが生まれています。

今回の映画ファンの集いの「お題トーク」では、両作品とも2つのテーブルが2回にわたって用意され、加えて「セッション vs バードマン バトルトーク」というのもあったので、全部で5テーブルが使われるという人気ぶり。

バードマンに衝撃を受けた僕も、ガッツリ参加してきましたよ。

情報ゼロで先に見た『バードマン』と、事前情報アリで後に見た『セッション』の衝撃度の違い

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バードマンは、何の知識もないままに見て、とことんやられて、ストレートに衝撃を受けて、「映画ってやっぱりサイコーだー!」って、鳥が舞う大空に叫びたい気分になった。

でもセッションは、ちょっと余計な事前情報が入っていたせいで、心から作品の良さを享受できていなかったんです。

「誰も見たことがないクライマックスへ」とか「ラスト9分19秒の衝撃!」とかのキャッチコピーが飛び交っていたもんだから、どんなに熱いシーンが出てきても「いや、これがまたひっくり返されるんじゃないか?俺はダマされないぞ」みたいな姿勢になっちゃって、けっきょくそのまま終わっちゃった。

これはね、人生の大きな悲劇ですよ。だってもう二度とセッションの「初見」には戻れないんだから。メン・イン・ブラックのニューラライザーでピカッとやって、記憶を飛ばしたいくらいだよ。

てことで、バードマン推しながらセッションも多分に認めつつ、みんなでワイワイ語ったら、まあ楽しいこと楽しいこと。

僕が奇跡的にたどりついた、バードマンのラストシーンのホイットマンの詩についても、ドヤ顔で発表したけれど、いろんな人のいろんな見解が本当におもしろかった。やっぱり正解は1つじゃないんだなと。

そしてこういう話を熱くできるこのイベントは、やっぱり貴重だなあと思いました。

だって、いい映画観たらやっぱり語り合いたいじゃないですか?

でもいい大人になると、まわりにあんまり映画好きいないじゃないですか?

こうやって映画好きが集まれるって、けっこう幸せなことだなあ、とあらためて実感しました。

対極にあるのに、どこか似ている両作品

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アーティスティックで小賢しい『バードマン』と、アラはあるけどストレートで清々しい『セッション』

両作品のバトルトークテーブルでは、いちおうバードマンサイドに座ったけど、バトルと言うよりはいい学びの場になりました。

こういう似ているところの多い傑作を並べて、好きな者同士が話すと、見えてなかったところが見えてくる。

カメラワークから音楽からストーリーから何もかもセンスが良くて眩しかったバードマンも、セッションと比較して話してみると、なんだかインテリ気取りで小手先ばかりの小賢しい(こざかしい=利口ぶってる)作品に見えなくもない。

対して、展開にはアラも多くて、舞台設定もちょっと非現実的(ジャズという意味において)なセッションの方が、先生か生徒にストレートに感情移入できるし、よっぽど清々しいと思えてくるじゃないですか。

まあこれは、元々バードマン寄りだった僕が、皆さんの話を聞いているうちにセッションの良さを落ちついて理解した、ということなんだけれど。

アカデミー作品賞は『バードマン』で良かったのか?

バトルトークでは、ディベートを熱くするために「作品賞はセッションでも良かったんじゃないの?」という火種が放りこまれたんだけど、これも面白かった。

結果、僕が空気を読まずに早々に提示した

  • 作品賞は『セッション』
  • 主演男優賞はマイケル・キートン
  • 助演男優賞はエドワード・ノートン

というところに収束した感じ。

過去のアカデミー賞の実績を見てみると、作風からして、バードマンよりはセッションの方がより社会風刺的だし、アカデミックだし、作品賞には近いと思います。

でもなんか、映画業界全体を批評しているバードマンを受賞させないと、アカデミー協会は、ああいう反体制の作品は認めない、あるいは逃げた、みたいに思われてしまうから受賞させた、という深読みもできるわけです。

ということでセッションには作品賞あげない代わりに、本作のフロントマンであるフレッチャー先生を演じたJ・K・シモンズに助演男優賞をあげましょう、と。

でもあの強烈な鬼教師って、わかりやすくてじつは演じやすいと思うんですよね。よく考えると、シモンズが演じていたスパイダーマンのバカ編集長と同じで怒鳴り散らしてただけですから。強弱がつけやすい。

それより、才能にあふれた天才役者ながら、プライベートではバランスの悪い変人を演じたエドワード・ノートンの方が、演技という意味でも存在感でも上だったように思えてきます。

どちらも監督の経歴と個性がトコトン発揮された秀作

あとは、どっちも監督の個性が発揮されまくってるね、っていう話になって、そこもすごく頷けました。

バードマンは、イニャリトゥ監督をはじめ撮影監督のルベツキ(ゼログラに続いて二年連続アカデミー撮影賞を受賞)などメキシコ勢の作品なので、国外からハリウッド映画を冷徹に見てきた経緯が、本作品の皮肉めいた批評スタイルに繋がっている

カメラはあくまで俯瞰で、神の視点。僕らは特定の誰かに感情移入するわけではなく、あらゆる登場人物を外から眺めながら、その滑稽で狂気じみた世界を体感する。

対して、セッションのチャゼル監督は、高校時代にジャズ・ドラムに打ち込んだ際に、厳格な音楽教師の指導を受けたことが参考になっているという。実体験に基づいた強烈な復讐心もあったのかもしれない。

他にも「楽譜を1音でも間違えたら殺される」というピアニストの緊迫した演奏を描く『グランドピアノ』の脚本を書いていたり、音楽に執着しすぎて一線を越えてしまう人間の心理は、本人の経験や素養から生みだされているように見える

結果として、生徒か教師かのどちらかに強烈に感情移入して、どっぷりとその世界観に浸ってしまうのがセッションのいいところだろう。

間違いなく言えるのは、どちらも傑作だということ

どちらの作品も、音楽と演劇(映画)という芸術に人生のすべてを捧げて、人間性の一線を踏み越えてしまった人々の情熱とカタルシスと悲哀を描いているという点では一致している。

けれどその表現スタイルが違うことで、ここまで異質の作品に仕上がっているというのが、映画ファンとしてはたまらない。

奇しくもこの両作品が同じ年に世界に放たれたというのは、それこそ(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のような気すらしてくるじゃないの。

僕は正直、どっちかひとつを選べ、と言われても選べない。完全にバードマン推しだったんだけど、みんなと話したら、今は完全に同率タイ。

どっちか選ばないと、ステージで頭を撃ちぬくぞ、と言われても、もうNYではドラムを叩けなくしてやるぞ、と言われても、選べないものは選べません。

とにかく、また両方見たいってだけです。

しかしこんだけサントラほしくなった映画も久しぶりだなあ

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