僕らには世界が見えていない。映画『ルーム』

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ふだんあまり映画を見ない家内が見たいという作品は当たりが多いんだけど、『ルーム』も例に漏れず地味ながら考えさせられる、それでいてシンプルにすとんと落ちてくる秀作だった。

ママと5歳のジャックは7年ものあいだ狭い部屋(庭の納屋)に監禁されていて、そこで生まれたジャックは外の世界を知らない。彼にとってはこの部屋が世界の全て。

テーブルやイスを擬人化して会話をして、夜になると部屋に来る男から身を隠すためにワードローブの中に逃げこみ、ママ以外の誰とも接することなく5歳まで育ったジャック。僕は前半の監禁状態におけるジャックのシーンのいちいちに胸がかきむしられる思いで、何度も何度も嗚咽を漏らして他のお客さんに迷惑をかけてしまいました。

劇場内を見渡すとそれらのシーンで僕以外に泣いている人はいなかったので、どうやらこれは僕のパーソナルな過去に関連しているもよう。今でも僕は子どもたちが泣き叫ぶ声を聴くと息がつまるほど苦しくなるし、どこかに閉じこめられるということにとてつもない恐怖と共に微妙な安心感みたいなものを感じたりもします。ジャックのような体験をしたわけじゃないけれど、あらためて記憶のフタの存在を意識しちゃったな。

僕らには世界が見えていない

ともあれ、やがて二人は脱出に成功して、ママの実家で暮らすことになります。ママは7年ぶりの、ジャックには生まれてはじめてのシャバの世界。今までテレビの中だけの架空の存在だと思っていた空、樹、葉、風、人々を見て、ジャックはひとつひとつ世界を知っていきます。

そんなジャックを見ていたら、僕らはふだんちっとも世界が見えていないんだなあ、と切なくなりました。

見上げればどこまでもつづく空があって、やさしい風が緑の息吹を運んで、海辺の丘には花が咲き、階下では子どもたちが歌っているというのに、そんなものには見向きもせず、いらぬ心配を抱えて職場や家やいつもの場所に閉じ籠もっている。

僕らはこんなに広い世界にいるのに、どんだけ狭いところに生きているんだろう。

この世界に何十年も生きている僕らが見ているものは、ジャックが見ている世界とはまったく違うものかもしれない。僕らは世界のどこにでも行けるのに、狭い価値観と人間関係の中に自ら監禁されて、息苦しく生きている。

なんて感傷的なことを考えたりしました。

世界の広さは自分が決める

広大な庭に部屋がいくつもある大きなママの実家にはたくさんのおもちゃのプレゼントにスマホまであって、ジャックにとっては天国のような世界かと思いきや、ジャックはあのルーム(監禁部屋)に帰りたいなどと言います。

家に帰った直後はよかったものの、だんだんママの様子がおかしくなっちゃうんですね。そりゃあ思春期の学生の頃に誘拐されて7年間も監禁、そんな異常な環境で犯人の子を産み、夜な夜な手籠めにされながらも、幼子を守るために精神的にギリギリのところで張りつめて生きてきたのですから、いきなりそれがゆるんだら、心のバランスを崩すのも当然です。

犯罪者の血が流れるジャックを見ることすらできない父親に、失踪中に別の男とくっついて一緒に暮らしている母親に、心に土足でズカズカ踏みこんでくるマスコミたち。世界は思っていたよりずっと残酷で、二人きりの監禁部屋の方が良かったんじゃないか。そんな気すらしてきます。

ジャックにとっても、いつも一緒だったママは入院しちゃうし、みんなは口グセのように「早くしなさい」と急かすし、世界は広いのに、あの部屋よりずっと忙しなくて、時間がなくて、退屈で、なんだか狭く感じる。

広くて天国だと思っていた世界は混沌としていて、狭くて地獄だと思っていたルームのほうがよりシンプルだった。

どんなに狭い部屋だって、誰かと心が繋がっていればどこまでも広くなるし、どれだけ広い世界にいたって、自分の殻に閉じこもっていたら窮屈でしょうがない。

人を最も蝕むのは「押しつけられた孤独」だと言います。そもそも彼らを監禁した犯人だって、根っこに孤独という大きな闇を抱えていたのは間違いないでしょう。もちろん擁護するつもりはないけれど、抱える苦悩の根っこは同じ。

僕もつい忘れそうになるけど、世界はとても広いのです。人間関係が息苦しく感じられたり、将来に不安があるというのは、自らが世界を限定して、自らをルームに監禁しているのかもしれません。

部屋の扉を開けることができるのはやっぱり自分だけなのです。僕ら大人もジャックのように、自分から監禁部屋にバイバイって言って、限りのない世界で生きていたいものです。

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