インターネットとSNSの「チョウドイイ」を見つける旅

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最近、FacebookやTwitterといったSNSに触れる頻度が減ってきました。

以前は「Facebookを見ればおまえが何をやってるかだいたいわかるよ」と言われるほどに日常のあらゆることを投稿するSNS中毒な僕だったけど、何か最近窮屈さを感じるようになっちゃって、なんでかなー?とか考えているところで、この本を読んだんです。

著者のチェコ好きさんは、アート系のエントリーを得意としたはてなブログの有名なブロガーさんで、以前からネットではお互いに知ってたんだけど、先日共通の友人の出版パーティで初めてお会いして、その場でこの本を買いました(やっぱKindle超便利)。

さっそく読んでみたらボクが最近感じていたことのだいたいのところがまとめられていて、心がすっとクリアになったんです。

インターネットを使えば使うほど、僕らの世界は狭くなる

なんかインターネットって無限なイメージあるじゃないですか?遠くに住む友人でも有名人でも外国の人でもSNSでつながることができるし、世界中のあらゆる情報にアクセスできるみたいな。

でもじつは、情報検索もSNSも、すんげー閉鎖的で限定的なものなんですよね。検索っていっても、まずはその検索するための固有の単語を自分が知っていないとダメなわけで、けっきょくそれってそもそもの「自分が知りたいこと」の延長線上のことしか引っかからず、限定的な情報しか手に入れることはできないですよね。

本屋さんをぶらぶらしてると、いろんなジャンルに分けられた書棚を眺めているうちに、今まで興味がなかった新しい本とか雑誌を見つけて「お、なんか楽しそうだな!」って知らなかった世界が広がったりするけど、ネットだとそれはありえないわけです。

SNSのタイムライン上であることが話題になってると、あたかも世間全体がそれを話題にしているように錯覚することがあるけど、じつはそこってすんごく狭いんですよね。匠もビックリ超狭小!

先日もiPhone SEが発売になった途端にたくさんの友人たちがこぞって買っていたので、「おお、僕は小さいiPhoneにまったく興味ないけど、世の中的にはすごく需要があるんだなー!」なんて思ったんだけど、実際はそんな売れてないでしょ?

たちが悪いのは、そうやってタイムライン上の友人たちがみんなやってることって、自分もやらなければいけないんじゃないかって、無意識に不安になったりするんですよね。

SNSが疲れるのは、欲望が似通ってきてしまうから

SNSの情報は、多くの場合多様性を失わせます。まわりの友人みんなが深夜まで仕事を頑張っていたら、自分も深夜まで働かないといけないような気分になります。まわりの友人みんながあの映画を観ていたら、自分もあの映画を観に行かなければ損をするような気分になってきます。

あなた本当にスターウォーズ見たいんですかー?ってことです。

あと僕の友人にはデジタル系のブロガーが多いので、よく格安SIMの情報が流れてくるんですね。同じiPhoneを使うのでも格安SIMを使えばSoftBankとかのキャリアより断然安くなるからお得だよーっていう有益で親切な情報なんだけど、僕個人としてはそういうのを調べることがメンドクサイし、家族でずっとSoftBankだし、そのへんをお金で解決できる今のままでいいわけです。

でも何度もそういう情報が流れてきたり、多くの友人が「いいね!」していたりすると、気分が落ちているときとかに、無意識に「やっぱキャリアはダメなんじゃないか」とか思っちゃうんですよね。みんなに取り残されちゃう的な不安が生まれてるわけです。

みんなが花見に行っていれば自分も行かなきゃいけない気になるし、みんながお洒落なもの食べてたら自分も食べなきゃいけない気になったり、友人たちがみんなで遊んでたら仲間はずれになった気がしたり。でもそれって、自分の本当の「欲望」じゃなかったりするんですよね。

僕は今WEBマガジンの準備が忙しいので、花見行ったりお洒落なカフェ行ったりみんなと遊ぶ時間があったら、休日も部屋に籠もってしこしこ作業していたいんです。でもタイムラインでみんなが遊んでいるのを見ると、なんかちょっとモヤモヤする。

SNS疲れはリア充アピールに対する嫉妬とか言われるけど、それだけじゃないっていうか、それよりもこの「欲望が似通ってしまう」というのが大きいんですね。それが最悪なのは、結果として「欲しくないもののためにがんばってしまう」ことがあるからです。

身動きがとれなくなると、他人の欲望を自分の欲望と勘違いし、本当は欲しくないものを手に入れることに向けて、誤った努力を全力でしてしまったり、他人の目を気にした発信ばかりで、自分が本当に心が揺れるものがわからなくなってきてしまいます

僕はかつて「がんばりすぎた」ことで心を壊してしまったと思ってたんだけど、最近ある人に言われたように、「本当は欲しくもないもののためにがんばってしまった」から、どうしようもなくなってしまったんですね。掛け間違えたハシゴを登りきっても、間違った場所に辿り着くだけだ、という話です。

「みんなと違う欲望」こそが大切

「自分が本当に心が揺れるものがわからなくなる」ってのはオソロシイことです。

僕らがSNSに求めるのは「共感」でしょう。Facebookなら「いいね!」の数で自分に対する共感を確認して、安心します。

すると人は他人との隔たりを埋めようとするので、いつの間にか「共感されやすい」ことばかりを発信するようになるんですね。「いいね!」がつかない投稿は内容がダメなんだと思ったり、いつも「いいね!」がたくさんつく人は自分より上だと思ったりしてしまう。

Twitterなんかドラゴンボールのスカウターみたいにフォロワー数でその人の影響力が可視化されてしまうので、無意識に人を見上げたり見下げたり。

でも本当に大切なのは、みんなとの「共感」ではなくて、「みんなと違う欲望」「他人とのズレ」なんじゃないでしょうか。

自分と違う人の価値観に触れるから、世界は広がって、人生は豊かになるんです。誰も「いいね!」してくれなくても、自分が本当に思っていること、大切だと信じていることを発信することこそが、SNSを使って「見せる」のではなく「対話」できる最上のコミュニケーションなんじゃないでしょうか。

SNSでもブログでも、誰も言ってないこと言ってる人の方がオモシロイじゃないですか。

SNS依存は一種の活字中毒

じゃあどうしたらいいか?についてはチェコ好きさんの本の中に詳しく書かれているので読んでもらうとして、僕個人としてはシンプルに、「SNSからちょっと距離を置く」ようにしています。正確には「SNSめんどくせーな」と思ったらその気持ちを否定しないで、あえて触れないということ。

レストランで食事をしたり、旅先で美しい風景を見たときに、自分の記録や思い出のためではなく、SNSに投稿するために写真を撮影することってないですか?僕はそれに気づいたときに、何のために生きてるんだろう?って一人で笑っちゃったんです。

チェコさんの言うように「他人とのコミュニケーションは、最新のゲームでも名作といわれる映画でも、どんなものでも勝てない最高の娯楽」であるし、インターネットとSNSの波はこれからもますます大きくうねっていくのは避けられないけれど、だからこそ、「自分だけの欲望」をもっと大切にしてあげたいなと思います。

とはいえ僕などは、SNSにおけるコミュニケーションが人間関係の大きな割合を占めるので、今後もどんどん活用していくつもりだけど、重要だからこそ、自分にチョウドイイ距離感を保つことが大切だなあと感じました。

SNSやインターネットへの依存というのは、一種の活字中毒なんだそうです。常に何かインプットしていないと退屈してしまう、時間を無駄にしているように感じてしまう。

ということで最近は、FacebookやTwitterのアプリを見えないところに移動させて、ヒマになったらボケーッとするか、Kindleを起ちあげるようにしてますよ。あらためてポケットに何十冊もの本を持ち歩けるKindleにウハウハしてます。ネットでも人生でも、自分にとっての「チョウドイイ」を見つけていきたいですねー!