宮本武蔵は、天下無双(世界で一番強い者)の称号を持つ柳生石舟斎のもとを訪れ、「天下無双とは何か?」の答えを求めたが、強さという概念を超越した石舟斎の佇まいに圧倒されるばかりで、答えを得ることはできなかった。

石舟斎は言う。

「考えれば考えるほど、見よう見ようと目を凝らすほど、答えは見えなくなる。見つめても見えないなら、目を閉じよ。どうじゃ、お前は無限じゃろう?」

天下無双(一番強い者)を目指すあまり、武蔵はその意味と言葉に縛られ、答えに執着し、恐れ、思考と行動の視野を狭めて、勝手に苦しんでいた。

けれどその意味や答えを手放して、目を閉じてみれば、そこにいるのは「ただの自分」。
自分という存在は「天下無双 or not」という二択におさまる窮屈な存在ではない。どこまでも無限な自由な存在なのだ。

僕らだって、

成功しているか、していないか
仕事ができるか、できないか
お金持ちか、貧乏か
イケメンか、ブサイクか
結婚しているか、していないか
いつも元気ハツラツなのか、ウジウジしてるのか

なんていう二択で計られるような存在ではないのだ。

誰だって、自由で、無限な存在。

ただ自分自身が、特定の価値基準に執着して、目が見えなくなっているだけ。目を閉じればそこには、自分だけが在る。他人も、インターネットも、何もない。本当だ、僕らは無限だ。

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