そのドレーが世に出たのが、八十年代にいたN.W.A.っていうヒップホップグループで、ちょうど俺が中学生の頃、海外のそのへんの流行に敏感な友だちの影響で、すげえ聴いてたんだけども。
いわゆるギャングスタ・ラップってやつのオリジナルで、つまり、本物のギャングの生活とか思想とかをリアルに歌詞にして、ファック・ザ・ポリス!とか放送禁止用語バンバン使いまくって、FBIに目をつけられたりした、危険でヤバい伝説のグループ。
ミュージシャンっていうより、街のチンピラが集まってレコードつくっちゃった、みたいな印象だったんだけど、それがすげえバカ売れしたんだ。今ジャケット見ると、ホント街の不良少年たちなんだよな笑。
当時は、N.W.A.ってのはメンバー全員が本物のギャングスタでマジヤバイ奴らなんだぜマザフォカ!って信じてたんだけど、この伝記映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』を観ると、実際はそうじゃなかった。
リーダーのイージー・Eは麻薬の売人だったんでギャングっちゃギャングなんだけど、ドレーは単なる音楽オタクだし、アイス・キューブだって、どちらかといえば寡黙でマジメな詩人みたいな。
でもそういう、まともにまじめに生きようとしてるやつらも、コンプトンっていう治安のひどい街で黒人だと、何もしてなくても、たとえばスタジオの前の道でハンバーガー食べながらみんなで談笑してただけでも、警察に取り囲まれて殴られたりするような理不尽が横行してたんだ。
ギャングになんかなりたくないけど、ならざるをえないっていうか、他に道がないっていう絶望感。そういうのを初めて世の中に主張したっていう社会的な意義も、たしかにあった。
N.W.A.っていう名前も、Niggaz Wit Attitudes、主張する黒人たちって意味で、主張っていうか、黙ってねえクロみたいなね。Niggaって禁止用語だからね、グループ名じたいが放送禁止用語っていうね笑。
ともあれ、八十年代以降のヒップホップシーンに触れてきたやつには、たまらない映画だぜ。今年いちばん胸が熱くなったかも。
どちらかといえばロック畑の俺でも、ドレーやアイス・キューブがいかにしてミュージシャンとして成功していったのかとか、その道のりにスヌープ・ドッグとか2パックとかがちょろっと出てきて、この後2パックとこのシュグとかいうデブが襲われて、エミネムが出てくるのはもっとずっと後か、なんてヒップホップ史が繋がって見えるとワクワク胸が躍ってくるもんな。
こういう伝記物ってのは、いつも最後の感想が同じになっちゃうんだけど、
けっきょく人は、まわりが何を言おうと、自分が信じた道をいくしかねえ!
ってことと、
けっきょくどんだけ考えて苦労してがんばってもがんばらなくても、どうせ失敗はする!
ってこと。
俺もそうだったけど、平和とか安心を求めて、嫌われないように、認められるように、ケンカ諍いを避けて、事なかれ主義で生きてたら、自分のやりたいことなんか一生できないんだよ。
Eもドレーもキューブもみんな、せっかく成功できてもケンカしまくり。
でも、自分の信じてることを貫くから、それぞれがめいっぱい輝いて、ちゃんとうまくいく。
対立して憎しみあったって、問題ないんだよ。縁がありゃまたくっつくし、なあなあに妥協したら、中途半端なもんしか生まれないよな。
そんでみんな、失敗挫折裏切り後悔マザフォカ!の連続だよ人生ってば。
そういうのを避けようとビクビク遠回りしても同じ笑。ガンガン生きようと、ビクビク生きようと、ちゃんとイヤなことは起こるから。だったら好きなことやって死のうぜっていうね。
ドレーっていう音楽の天才がいて、イージーEっていうビジネスマンがいて(こいつの下手くそなラップが俺は好きだ)、アイス・キューブっていう思想を語る人がいて、そいつらがあのクソみたいな街で運命的に繋がったから、このN.W.A.っていう奇跡が生まれたんだなって思うと、感慨深いものがある。
ビートルズだってブルーハーツだってストーンズだってなんでもいいけど、人が繋がってとてつもないもんが生まれるのはワクワクするよな。
ということで、ひさしぶりにN.W.A.とドレーをApple Musicで聴いてるけど、タイムスリップするな俺も。あの頃、14歳の熱かった夏に。
いくつになってもさ、あの頃みたいに好きなことやろう。仲間と笑おう。親や子どもともケンカしろよ。たまにはわるいこともやっちゃえよ。そんじゃね。
▲ ロドニー・キング事件から発生したロス暴動で、二大ギャングのクラップスとブラッズが手を結んだシーンは熱い。