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最近はスマホ離れというか、デジタルやネットよりアナログでリアルな日常を暮らしていたので、iPhone Xには期待も注目もしてなかった。

それが家族との諸事情により手に入れることになり、いざ使ってみると、なるほどなるほど……、たしかに、最近のモデルにはなかった次なる時代の予兆が感じられる。いつの間にか、ふたたびiPhoneばっかり触る毎日だ。

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これ以上でもこれ以下でもないサイズ感。

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▲ まず開けてみて。ボディは、今までのどのiPhoneよりも高級感が感じられる。

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▲ それはおそらく背面がガラスになったからだろう。この画像は光量が多すぎてややグレーがかっているが、実際はもっと深みのある色合いだ。シルバーのボディのほうがエレガントだったかもしれない。

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▲ ホームボタンがないだけで洗練された雰囲気をまとう。

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▲ iPhone7 Plusと比べると、筐体はこれだけ小さくなっているのにディスプレイはXのほうが大きいというマジックが見られる。

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俺にとっては、このサイズの違いがかなり大きな意味を持った。これ以上でもこれ以下でもないベストなフィット感。

上の記事にも書いたとおり、Plusシリーズは、前ポケットにiPhoneを入れる俺のような男にはどうしても大きすぎた。とくにオートバイ乗りには最悪だった。

だからどうしてもサイズ的にはノーマルタイプが最適だし、もっと言えばSEのようなコンパクトなモデルのほうが見た目もスマートで好ましい。けれどディスプレイは大きければ大きいほど使いやすいのは言うまでもない。その筐体と画面の永遠の葛藤を解決したのが、このベゼルレス(フチ無し)のiPhone Xというわけだ。

今まではポケットの中でその巨躯を主張していたPlusだが、Xはするりとなめらかに滑りこみ、存在を忘れるほどだ。

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ひさしぶりに手の平におさまる安心感。これならジョブズも苦笑しつつ許容するかもしれない。

指紋もボタンもいらなかった。

今やキャッシュカード情報から各種のパスワードまで、スマホに収められたあらゆるプライバシーを、顔面なんぞの形象で認証するというのは技術的にもかなり懐疑的だったが、いやこれは素晴らしかった。もう一瞬たりとも指紋認証には戻りたくない。

理屈で考えると、カメラを見つめて顔認証して上にフリックするという2アクションを必要とする「Face ID」よりも、ホームボタンに触れるだけで指紋認証してすぐに使える「Touch ID」のほうが素早く有用な気がするが、実際は違う。

「Touch ID」では毎度決められたホームボタンの位置に決められた指を配置しなければならないが、「Face ID」ならば、さっと払うようにディスプレイを撫でるだけでスタートする。画面はどうせ見つめる、のだ。時間差はややあっても、ストレスを感じさせない不思議。ここにも洗練が感じられる。

ホームボタンも同様で、操作の要である物理ボタンを放棄して大丈夫かと心配していたが杞憂だった。世の中にはいらないものが多すぎる。

一眼レフいらずは本当か。

Xのカメラは本当に綺麗に撮れる。GR使いの俺が唸ってしまうほどに。

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▲ ポートレートモードは強烈なボケを見せてくれる。

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▲ これは間接照明の暗い部屋で撮ったのだが、明るさも十分。鮮明に撮れる、という意味においては一眼レフに迫る。

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▲ 食べ物の見栄えもいい。

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▲ 夕焼けのグラデーションも美しく切り取った。

とはいえGRが負けてたまるか。

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▲ 同じ景色をRICOH GR2で撮影。色合い、ピント、描写、情緒まで、鮮明とか綺麗とかは優に超え、ありのままの臨場感に溢れている。もちろんiPhoneがGRに勝てるはずはない。

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▲ Xで撮影したママの鶏ネギうどん。ネギの甘みと後入れ山菜の歯ごたえがたまらない……が。

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▲ GRで撮るとこうなる。すこし手ブレしちゃってるけど、まずなにより色合いがリアルだろう?

……と、iPhone Xを語っているのにGRに熱くなってしまった。GRのこのリアルな色合いと雰囲気は、本物の一眼レフともまた違う領域なので話が違う。大人げなかった。すまぬ。

iPhone XはもちろんGRのような優れたコンデジや一眼レフの代わりになりはしない。けれどそれらを携えていないときに代用するには、十分すぎる画質である。写真にこだわりがない人たちにとっては、スマホでこれだけ撮れるというのは驚愕のレベルと言っていいかもしれない。

俺にとっての優秀なカメラの第一条件「携帯性」だけで言えば、最高の機種、ということにもなる。

ベゼルレスの洗練。理屈でない心地よさ。

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理屈でなく、ただ見ているだけで心地よいのが、やはりホームボタンと上下のベゼル(フチ)が排除された洗練されたディスプレイだ。

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▲ 上下に余計なものがないだけで、ポスターもやけにクールに見える。アン・ハサウェイは外見が美しいだけじゃない。気立てが麗しい。

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▲ デバイスというより、一葉の写真を見ている気にすらなる。

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▲ テキストも全面にびっちり詰められているほうが心地よく読めるのは、紙に近づいているからか。

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▲ 対して、まだXのディスプレイに対応してないアプリは、どうしても無粋というか野暮ったく感じられる。

書き忘れていたが、iPhone Xはディスプレイの表示がすさまじく美しい。Super Retinaという有機ELを採用しているそうだが、黒がはっきりと黒く、他の色彩もじつに鮮やかで、今までと同じものを表示してもうっとりと見入ってしまう。写真が綺麗になったのは確かだが、表示そのものが美しくなっているせいでさらにそう感じるのかもしれない。

革新から洗練へ。

iPhone Xの悪いところは、とくに思いつかない。

マスクをしていたり枕に顔がすこし埋まっているとFace IDが使えないとか、価格が高すぎる、とか、重箱の隅をほじくればいくらでも言うことはあるが、どれも問題とすべきようなものではない。会ったこともない有名人の不倫を糾弾するようなレベルだ。

iPhoneシリーズに限らず、Appleはいつだって、デザインを洗練させ続けることによって、旧製品を野暮ったく不格好に貶めるような形で、よりクールな新製品を買おうとさせる。そして俺はいつもそれにハマって新製品を買いつづける。それが嬉しいのだからしょうがないんだけど。

結論的に、iPhone Xは、革新をもたらすデバイスではない。けれど、スマホ離れをしていたおっさんですら少なからずときめかせる輝きは、たしかにあった。

それはAppleが、革新(イノベーション)から、洗練(ソフィスティケート)へと、大きく舵を取ったからなのかもしれない。

スマホはもはや生活の一部となり、世界中のメーカーがあらゆる機能を盛り込み、操作は複雑の一途をたどっている。だが、そういった足し算が飽和すると、必然的に洗練という引き算が始まる。Appleの真骨頂である。

未来を扱った映画などで、紙のように薄くクリアに透けたデバイスを使っているのを見かけるが、やはりいずれはああいう形になっていくのかな、という期待も沸く。iPhone Xはその原型としての未来を感じさせる。

iPhone Xの新しい機能の多くは、すでにAndroidなどに搭載されている。けれどそんなスペックや目に見えるところではわからない、実感としての未知なる期待をもたらしているのがiPhone Xなのだ。

ジョブズはユーザーにスペックや使い勝手の理解を求めなかった。ただ、気持ちよく使って、デジタルでないリアルな生活にワクワクしてもらえればいい、と。そういう意味で、Appleはまだ死んでいないのだ。そんな大仰なことを思うくらいには、iPhone Xはクールなデバイスなんじゃないだろうか。

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▲ iPhone Xのイメージが何かに似ているなと思ったら、俺が履いてる靴下だった。GUだったっけかな?

写真はすべてRICOH GR2で。