四月だというのに朝から冷たい雨が降っていた。
薬のせいか、低気圧のせいか、頭が重く、どこかぼーっとしている。
今日は何を読んでも、何を書いても、頭の中に入ってこないし、浮かんでもこない。
午後になると、雲の隙間にようやく晴れ間が見えはじめた。
夜になると疲れてしまうので、今のうちに夕飯の支度をしておく。
といっても、チキンソテーを焼いておき、野菜を用意しておくだけだ。
夕方、入院中にドッグランのホテルに預けていた飼い犬のアンを迎えに家を出る。
感傷気味なオヤジは、夕暮れ時の裏路地を歩きながら、三週間ぶりの涙の再会を想像して、すでに目頭が熱い。
ドッグランの施設に入ると、アンはちょうどシャンプーをしてもらい、ドライヤーで乾かしてもらっているところだった。
初めてのドライヤーに戸惑っているのか、トリミング台の上で、きょとんとした顔をしている。
つぶらな瞳が私の存在を認めたが、まだはっきりとわからないのか、首を傾げている。
ドライヤーが終わり、部屋のドアが開くと、いつものように尻尾をブンブン振りまわして飛びついてくる。
洗ってもらったので、毛並みがふさふさで、少し大きくなったのか、いつものアンとは違って見えたが、この見境のないクレイジーな飛びつき方は、たしかに私のアンだ、と苦笑する。
私が想像していたのは、ドッグランを駆けまわっているところで、私の姿を見つけると、一目散に飛びついてきて、お互いに歓喜の抱擁をする、みたいな、ネットで見かけるような感動の動画、といったイメージだったのだが、実際は、いつもと変わらぬ元気なアンがそこにいた。
私にとっては感傷的な三週間だったが、彼女にとっては、ドッグランでたくさんのワンコと泥まみれになって遊んだ、素敵な日々だったようだ。
それならよかった。私は私、アンはアンである。
私の鬱屈や不安など微塵も気にせず、力強くリードを引っぱるアンの存在感に、そっと胸を撫でおろす。
身体ばかり大きくなっても、中身はまだまだやんちゃなパピーなので、これからもしばらくは手を焼く日々が続くだろう。
家具を噛み、ソファをひっくり返し、ウンチをはみ出させて、外へ連れていけと走りまわって。
けれどそのおかげで、私の暮らしにリズムが生まれる。物言わぬ話し相手がいるおかげで、私はようやく声を出すことができる。
アン、お帰り。さあ、生きていこう。