仕事や家庭の状況の変化で、ときたまいっぱいいっぱいになっちゃう@RyuNagayamaですどうも。
時間や制約に追われると、日常がピリピリしていやですよね。でも大人だから踏ん張らなくちゃいけない。だけどストレスが溜まって前向きな力が出ない。休日もリラックスして愉しめない。休養がとれなくて仕事にも支障をきたす。ますますストレスが溜まる。
そんな悪循環に陥らないで、いつもハッピーでいたいものですよね。
今日はバックパック一つで世界を旅する友人たちが思い出させてくれた「本当の幸せ」について考えてみました。
人生はシンプル
現地でお金を稼ぎながら、何年も世界中を放浪しつづける友人が何人かいます。
発展途上国の熱気や未開の大自然の中で生きる彼らの価値観はとてもシンプルです。彼らの話を聞いていると、ときに「俺は毎日何やってんだろう?」と、首をかしげてしまうことがあります。
「僕が毎日歯を食いしばってこなしていることって、本当に大事なことなんだろうか?」
「僕は、なんで、今日これをするのだろうか?」
「僕は、何のために今日を生きるのだろうか?」
思春期にさんざ悩まされた哲学の第一歩に、ふたたび陥ることになります。
彼らは「今」を楽しみます。彼らは「美しいもの」を見たがり、「愛するもの」を選びます。
手が届きそうな満天の星空や、無限大の樹木の木目や葉っぱの模様を、飽きるまで眺めつづけます。岩山の洞窟で天然のシャワーを浴び、河の畔で夢見るキノコを食べます。
なぜか?
彼らはいつだってこう言って笑います。
「理由なんてないよ。したいからするだけさ」
好きなことだけやって生きていけるのか?
「そんなこと言ったって、やりたいことだけやって生きているわけないじゃないか!」
以前の僕だったら、そんな碇シンジみたいなことを言って終わっていたでしょう。ですが、最近考えが変わりました。
世界を旅する彼らと違って、僕には護るべき家族や社会の中での役割があるし、その社会に護られているのだから、それなりの制約はある。だけど、幸せになる権利は彼らと同じだ。だとしたら、方法が違うだけで、結局誰しもが、好きなことをたくさんやるために生きているんじゃないか。
つまりは「毎日を、すべての瞬間を、自分の支配下に置こうよ」ということだ。
視点の高度を上げて、あらためて自分の日常を振り返ってみる。
僕は海辺をランニングしながら、自分が日常でやっていることをあらためて考えてみました。
夢や目的のために有意義に使っている時間もあれば、今を生き延びるためにいやいやしていることもあるし、小さなことにくよくよしている時間もありました。そして、普段大事だと思い込まされていた、ちっぽけな問題にたくさん気がつきました。
誰かが自分のことを悪く思っているだとか、誰かと比べて自分は劣っているだとか、自分のせいで迷惑がかかっているかもしれないだとか、あのときの自分のミスがどうだとか、もう本当に「あんたバカ?」と言いたくなるほどの「自分自身に関するどうでもいいこと」に、心が引っ張られていたんだということに気がつきます。
こうやって、日常という「高度0メートル」から視界をぐんと上げて、自分の人生を俯瞰することができれば、生活はクリアになって、ぐっと楽しくなるような気がします。
ピリピリからポレポレへ
ポレポレ(pole pole)とは、スワヒリ語で「ゆっくり、ゆっくり」という意味です。
旅を愛する彼らがよく使う言葉です。
インターネットなどの情報技術の向上で、毎日はどんどん加速していますが、心だけはいつだって、ピリピリじゃなくポレポレでいたいものですよね。いつも視界の高度を上げて、明るい未来をクリアに見据えて、元気に笑って生きていけるように、今日もあらゆることから学んでいこうと思います。
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