【エッセイ】元気出していきましょ。

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二十代前半の頃、僕の心はわりと深い暗闇の底に落っこちていた。
理由はよく覚えていないけど、たぶんどこにでもあるような若者の、どこにでもあるような理由だったと思う。

ある晩、僕はアルバイトを終えて家にたどり着き、早くも缶ビールを開けてテレビをつけた。

見るともなしに眺めていると、ふとあるCMのキャッチコピーが耳に残った。

「元気出していきましょ。エーザイ」

そのしっとりと落ち着いた物言いは、なぜか僕の心の奥まで届いて、僕は暗い部屋で独り、その言葉を繰り返してみた。

元気出していきましょ。

何のひねりも変哲もないその言葉がやけに気に入って、それがなんかおかしくって、僕はしばらく会っていなかった友だちに電話をかけて、ひさしぶりに飲みに出かけた。

街を歩いていたり、テレビを眺めていたり、音楽を聴いているときに、たまにこうやって、普段の何気ない言葉が、まるで天からの声であるかのように荘厳に響いて、心を震わせて、明日を変えることがある。

それはブルーハーツの唄だったり、子どもの笑顔だったり、一通のメールだったり、八百屋のおばさんのいつもの挨拶だったりする。

中島らもはそれを「今日の天使」だと言った。どんなに辛く悲しい日でも、必ず一人の天使がつかわされている。それを見逃さないように生きていこうと。

さっきいつものように日曜の午後のビーチを走っていたら、黄色いTシャツを着たおじさんが颯爽と僕を追い抜いていった。

飲料メーカーのTシャツなんだろうか、背中には漢字で大きく「水分補給」と書かれていた。

それまで快調に走っていたのに、その「水分補給」を見た瞬間に、僕は喉がカラッカラに乾いていくのを感じた。 それはどうやら今日の天使ではなさそうだったけど、すごくおかしくって、走りながら笑ってしまった。

いつだって同じように笑っていることは難しい。だけど明日も、元気出していきましょ。

※今調べたら、エーザイのCMの声は大竹しのぶさんらしいですね。今でもやっているのかな?

 

 

 

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