Interviewed by BBC on campaign to save Ally Pally TV studios
Interviewed by BBC on campaign to save Ally Pally TV studios / lynnefeatherstone
ふと思いついたので、僕がこれまでの人生で見かけた有名人を書き出してみる。そこから学ぶことは、たぶん、ないと思うけど、だからどうした?的な話だけど、なんかちょっとまとめてみたくなったので、時系列とか無視して、思い出した順に。

タイトルは、敬愛する中島らものエッセイ『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』へのオマージュだけど、たぶん有名人たちは僕を見かけたりはしていないよもちろん。

真っ先に思い出すのがビートたけしさん。小学生の頃、住んでいた外苑前の駅の近くで、軍団を5、6人引き連れて歩いてた。僕より一緒にいた大人たちのほうが興奮してて、僕に紙とペンを渡してサインをもらってくるように言われた。たけしさんがサインしてくれたのかどうかは憶えていない。軍団の誰かに書かせたような気もする。子ども心に思ったのは、街を歩いているだけなのに目がギラギラしていて、眼力が尋常じゃなかったことと、東京に住んでいれば芸能人を見かけることなどさほど珍しいことではないにも関わらず、大人たちの興奮が異常だったことだ。

高校生の頃よく通っていた渋谷のビリヤード場で、山下真司さんがビリヤードしてた。とにかく身体がでかくて目立ってた。

神宮花火大会のとき、大混雑していたスタジアム通りで、一緒にいた友だちが、当時メンノモデルだった田辺誠一さんを見かけたらしい。「思ったよりかっこよくないな。俺のほうがスタイルいいぜ」とそいつは言っていたけど、僕もみんなも心の裡で「いや、それはないだろう」と苦笑してた。

所さんがまだ雑誌『Lightning』をつくっていた頃、毎年パシフィコ横浜とかで『Lightning Festa.』っていうけっこうでかいお祭りというかイベントをやっていて、そこでは普通に所さんとかが歩いてて、話しかけたりできた。所さんは平気で「会場歩いてるとみんなついて来ちゃうからめんどくせーなー」とか言ってて、ヒロミさんとかもいたような気がする。会場の受付を所さんのお子さんたちがやってたりして、規模がデカイのにアットホームで笑った。

碑文谷のダイエーの生鮮売り場で、松雪泰子さんが男の人と歩いているのを見かけた。思わずのけぞってしまうほど細くて、白くて、綺麗で、ああ、これが女優さんなんだな、と目を丸くしたのを憶えている。

同じダイエーの生鮮売り場で、藤井隆さんとパフィーの由美ちゃんが仲よさそうに買い物してるのを見かけたこともあった。当時まだTMレボリューション西川君と付き合ってたんだか結婚してたんだかだったんだけど、二人は恋人とかそういう風には見えなかったねえ。

代官山のピーコックらへんで、上から下までガッチリ決めた浅野ゆう子さんが歩いてた。サングラスにスカーフかぶってオードリー・ヘップバーンみたいに変装してたけど、逆にキマりすぎてて芸能人オーラ出しまくりで、いいんだか悪いんだか、ともあれ大変だなあと苦笑した。

どっかで山田邦子さんも見かけた。一緒にいた僕の連れが「で、でかい」と呟いたのだけ憶えてる。

外苑前のファースト・キッチンで、大洋ホエールズのマリオことポンセがハンバーガーを食べてた記憶があるんだけど、今考えると、試合前にあんなとこでメシ喰うかな?僕の記憶違いかもしれない。

六本木かどっかの台湾料理店でゴハンを食べてたら、中日のピッチャー郭 源治さんがすうっと店に入ってきて、そのままカーテンをくぐってすうっと奥の部屋に消えていった。僕より親父のほうが興奮してた。

大学を出てから働いていた都立大のイタリアンに、スチャダラのBOSEさんがよく来てくれてた。テレビで見かけるのと同じような格好で一人で来て、パスタ食べながらゲームの本ばっかり読んでた。その店には元ヒステリックブルーのTamaちゃんも来たな。

一度、当時僕が心酔していた芥川賞作家・花村萬月さんにそっくりな人が来店して、僕はオープンキッチンで働きながら仕事が手につかず、「サインもらおうかな、でもプライベートの食事中にお願いしたらぶっ飛ばされそうだな」などと悩んでいたんだけど、顔を知っていたホールスタッフが「ぜんぜんちげーよ」と言うので冷静になってよく見てみたらどうやら別人で、意気消沈したのを憶えている。

それからしばらくして、花村さんにTwitterでリプライを送ったら「小説家志望に言えるアドバイスはただひとつ。とにかく毎日書いてください」という旨のメッセージをもらったことがある。これには感動して庭をぐるぐる走り回っちゃったな。だってサッカー選手目指してる人が、本田や香川から直接メッセージもらうみたいなもんなんだぜ。

伝説となった第1回フジロックで、前夜祭イベントにジョー・ストラマーがウロウロしてるって話を聞いたけど、疲れていたのか「別にいいや」とか言って見にいかなかった。世界中のパンクキッズが憧れるロックスターを蔑ろにするとは、フェスの熱気で脳がやられていたのかもしれないが、後に彼の訃報を聞いたときには、そのことを激しく悔やんだものだ。「いつまでも、いると思うな、親とアーティスト」と言うから、好きなアーティストがいる人は、今すぐライブのチケットを取ってください。親もアーティストもあなたも、いつか死にますから。

フジロックに出演する大物ミュージシャン(そのときだとレッチリとかグリーンデイとか)って、ヘリとか送迎車でババーンと会場入りするんだろうけど、Nirvanaにライブで楽曲をカバーされたこともある少年ナイフの3人が、河口湖駅かどっかで乗換の富士急行って超ローカル線の切符を買う行列に並んでて笑ったな。

親友の結婚式の二次会の司会がウドちゃんとずんの飯尾さんだった。新婦がかつて関根さんの劇団にいた縁で。今は飯尾さん大ファンだけど、当時はよく知らなかった(笑)。

大学生の頃バイトしてた大衆居酒屋に、『どついたるねん』や『顔』などの映画監督・阪本順治さんがたまに来てた。役者志望のバイトの先輩の上の人たちが連れてきたんだろうけど、当時僕が書いたわけのわからない黒歴史的エッセイ集みたいな本を「おもしろい奴がいる」ということで阪本監督に読ませたらしい。

親父とマンハッタンのダウンタウンを散歩していたら、ウナギの寝床みたいな細長いカフェの奥で、リチャード・ギアシンディ・クロフォードが座ってるのが見えた。目を丸くするだけの僕を尻目に、親父はろくに英語も喋れないのにズカズカと店内に入っていく。ふとっちょのウェイターが出てきて、苦笑しながら「もう閉店なんです」と、やんわりと追い出されてしまった。あんな気持ちのいい昼さがりに閉店しているカフェがあるはずはないので、観光客丸出しの東洋人親子が体よく追い返されてしまったのだろう。

他にもたくさん有名人を見かけてきた気がするけど思い出せないな。まあ、どうでもいいな。明日も晴れますように。よい一日を。