The Bed As A Desk
The Bed As A Desk / mootown
雑誌『COURRiER Japon (クーリエ ジャポン) 2013年 09月号』の特集テーマは、「人生の9割は「捨てる」ことで決まる。」というものだった。

夏が終わり、家の中の断捨離を本格的に進める中で、他にも捨てるべきものがまだまだたくさんあるのだということを感じたので、ここに紹介したい。

まずはIT依存から逃れるための「ネット休暇」。「デジタルデトックス」というやつについてちょっと考えてみた。

僕はFacebook中毒だと言っていいだろう。朝起きたらまず、白湯を沸かして朝食を食べながらFacebookを覗く。夜の間に投稿された友人たちの近況や写真を眺めて「いいね!」を押したり、自分の投稿についたコメントに返信したりしているうちに20〜30分が経っている。

ブログを書いて更新したら、FacebookとTwitterで告知して、ウェアに着替えてランニングに出かける。RunKeeperというiPhoneアプリで録ったランニングのログをFacebookにアップして、走りながら撮影した朝の海の写真を加工して、それもアプリ経由でFacebookにアップする。

仕事中は集中力が途切れたらiPhoneでFacebookやTwitterを眺める。ITリテラシーの高いブロガー界隈の友人たちを中心に、ひっきりなしに最新ニュースやブログ記事、近況などがアップされている。2020年のオリンピックが東京に決まったことだって、ニュースサイトなんて見なくても、Facebookが教えてくれた。ついでに『AKIRA』の作中でも東京オリンピックは2020年開催予定だったことだって。

美味しいゴハンを食べたらmiilでシェアしてそれもFacebookに送る。

関西の友人が食べてるお好み焼きとか、毎日裸足で走ってる友人とか、ハワイの先輩の息子と海の写真とか、麻布のあの人の朝食のパンとフルーツとか、L.A.の後輩のやたらと可愛い娘たちの笑顔とか、映画ばっか観てる人とか、ビールばっかり飲んでる人とか、デトロイトでブラックバス釣ってるやつとか、世界中の友人知人たちの近況やニュースが、タイムラインにバンバン上がってくるのを眺めるのは、もはや興味というよりは習慣になってしまっている。

最近は忙しいのでTwitterはブログの告知のみ、RSSリーダーはまったく読まなくなってしまったが、Facebookだけをベースにしていても、あらゆるニュースやブログ記事がシェアされてくるので、世界の主要な動きや情報は見逃すことはない。しいて言えば、サッカーだけはニュースアプリでチェックしているけど。

ソーシャルメディアをフル活用して成功をおさめているプロブロガーであり作家の立花岳志さんは、テレビをまったく見ないという。たしか新聞も読まないと言っていた。それでも大事な情報は入ってくると。

花村萬月さんをはじめとして新聞を読まない小説家は多いし、山田詠美さんはテレビも含めて一切のメディアを放棄した生活を送っているという。

僕もほとんどテレビは見ないし、新聞やニュースサイトもチェックしないけど、一日の多くの時間をFacebookに吸い取られている。

ブログをベースに個人で情報発信を継続したいと考える人間にとって、FacebookやTwitterなどのソーシャルメディアを活用することは常套手段となっている。それはなにもブログ記事や有用なニュース記事のシェアだけでなく、本人の趣味や食べているものや習慣などを発信することにも意味がある。そうやって個人のパーソナリティの細かいところまでをも逐一拡散させることができるのが、ブランディングの手段としてソーシャルメディアが有効な要素である。

とくにイベントやセミナー、勉強会などに参加するとき、ソーシャルメディアは威力を発揮する。会場で挨拶をして名刺交換をしたら、帰宅して、あるいはその場でFacebookの友達申請をして繋がってしまう。顔を合わせていた時間は三分足らず、共通項は「同じイベントに参加したこと」だけである、ほとんど他人だった人の生活が、その晩からタイムラインに並べられることになる。

仕事や趣味や感性が近い人であれば、自然とFacebookでの交流が多くなり、次に再会したときには、お互いのパーソナリティに関して、かなりのところまでを認知していることになる。これは僕も実際に何度も経験していて、Facebookがなければ知り合えなかった多くの友人たちのことを思うと、ザッカーバーグには本当に感謝している。

だが、それにしても、だ。

テレビを見ず、新聞も読まず、無駄な情報を入手することを拒絶しているように見えても、実のところの僕は、いつもFacebookからの情報(友達の近況や動き)に背中を追いかけられているような気がしてならない。あるいは、Facebookにおいて情報発信をしないということが、仕事をさぼっているかのような圧迫感を持って迫ってくることがある。

8年前、茅ヶ崎に移住してきてしばらくの間、僕はほとんどMacやネットに触れないですごしていた。当時はFacebookもTwitterもiPhoneもなかったが、メールやmixiで繋がっている友人たちはたくさんいた。

知り合いがまったくいない茅ヶ崎で、ほとんど誰とも連絡を取らずに、家族と親友と近所のわずかな知り合いたちとつつましく生活していたあの時期は、なんだかとても幸せな時間だった。

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クーリエジャポンでは「世界で最もオンラインな男」と呼ばれるデジタルライフ作家が、25日間のネット休暇を取って感じたことを綴っている。

彼が感じとったことは、特に真新しいことではなく、想像の範囲内のことばかりだった。オフラインの生活をすると、時間に余裕ができて、物事を深く考えることができるようになり、身近にいる人たちを大切にして、情報にストレスを感じることがなくなる、といったような。

彼はこれからもIT時代の申し子でありつづけ、デジタルで人生をより良いものにし、世界とつながり、常にシェアしつづけるが、定期的にオフライン休暇を取ってデジタルデトックスをしていくそうだ。

ブログを書いて発信しつづけることで何かを成しえたいと願う身にとって、FacebookやTwitterは仕事の一環ですらあり、短期間でもそれらを放棄してしまうことは、恐ろしいことでもある。

だけどそれでも、もうすこし節度を持ってソーシャルメディアと接していきたいと僕も思っている。たとえば深い森の奥までキャンプへ出かけたら、iPhoneの電源を切って鳥のさえずりと川のせせらぎに耳を澄ませればいい。森で体験したこと、感じたことは、家に戻ってからブログに書けばいい。

家族で冬の中華街をぶらぶらと歩きながら、食べログで美味しい中華料理店を検索するためにiPhoneを覗きこむのは、あまり楽しいことじゃなかった。どっかの誰かが書いたレビューや星を信じるよりは、片言の日本語で呼び込みをする中国人のおねえさんの笑顔につられて入ったお店のほうが、ずっと心が躍ったものだ。

僕はこれからもFacebookに入り浸り、ゴハン屋さんで食事の写真を撮るという品のないことをして、ブログを書きつづけていくだろう。

だけどもうすこし、本物の生活を「生きる」ということについて考えていきたい。そしてこれからの時代には、そういったオンラインとオフラインのバランスこそが、こころのバランスを取る重要な舵取りになっていくような気がする。

ありえないけど、iPhoneにデジタルデトックスモードとかができたらいいのにな。電話機能のみ使えるっていう。それくらい自分でどうにかしろって?うん、まったくそのとおりだね。