いろんな意味で「じつにアメリカらしい」映画だ。

練りあげられた物語に、皮肉のきいたキャラクター、絶妙なキャスティングで、随所にブラックな笑いを散りばめて、痛快でインパクトのある仕上がり。

ヒットするための要素をすべて集めたような、今のハリウッドを象徴する作品ではある。

テンポのいい脚本と痛快なキャラクター

物語の流れは秀逸。次を予測できない楽しい展開がテンポよくつづくので、じつに小気味よく、楽しい。

基本的にはオバカ路線のコメディタッチなので、何も考えずゲラゲラ笑える。ニコラス・ケイジの三枚目って、もうそれだけで文句ないよね。

冴えない主人公がヒーローになって、クラスのマドンナと恋に落ちる、というスーパーヒーローの王道を行くようで、もちろん行かない。ぜんぜんまっすぐは行かない。その荒れ狂った蛇行運転がとても楽しい。

とにかく痛快で、おもしろいのだ。

けれど、僕がこの映画に出会うには、いささか歳をとりすぎていたのかもしれない。

ヒットガールに哀しみを見る

そう思うポイントは二つあるのだが、まずヒットガールの瞳の奥に哀しみが見えてしまい、その気持ちが終わりまで拭えなかったことが大きい。

ジャケット写真を見ればわかるように、この映画の本当の主人公はキック・アスではなく、クロエ・グレース・モレッツ演ずるヒットガールだ。

彼女は、復讐に狂った親父(ニコラス・ケイジ)に洗脳されて、幼い頃から殺戮の技を叩きこまれた殺し屋の少女。

弱冠十一歳にしてマフィアどもをばっさばっさと打ち殺していく姿は、クロエの容貌のかわいらしさも手伝って一見痛快なのだが、やはりどこか痛々しい。

同じ年頃の娘を持つ父親としては、心にトゲが刺さるのだ。かなりぶっといトゲが。

そう感じさせてしまう要因は、この映画が「シリアスとコメディの間」にたゆたっているからだろう。

タランティーノのバイオレンス映画で血を見ても心が揺れないのは、あの世界が完全に非現実の上に立っているからで、それは僕らの生きる現実とは明白に違う。まずここは日本だし、ギャングどもはアメリカだ。

けれど本作は、残虐な殺戮シーンも含めて痛快なコメディと思わせながら、随所でリアルな心の葛藤や家族の在り方などを挟んでくるので、虚構と現実の判断が曖昧になってくる。

「映画なんだから関係ない」と思いたいのだが「この子がかわいそうだ」となってしまう。

もちろんそれは僕が親であり、歳をとってしまったせいもあるだろう。家内などは「ふつうに楽しかった」と言っていたので、僕がセンシティブにすぎるのかもしれない。

そしてなまじ映画全体のクオリティが高いので、クライマックスでヒットガールに救いが訪れるのではないかという期待を持ってしまったのもある。

いや、正確には救いは訪れたのだ。彼女は解放されて、新しい人生が始まる。

けれど腑に落ちない。釈然としない感情が残るのだ。

もしそれが意図されたもので、僕のような娘を持つ父親に続編を見たいと思わせるサブリミナルな手管だとしたら、もう降参するしかないのだが。

いずれにせよ近いうちに、続編の『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』を見ることになりそうだ。楽しみにしている。65点。

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