無理しないで宿に戻ってよかったわ。
今日は、もう一組のお客さんが来ててね、それもあって、女将さんが部屋にお茶とお菓子を持ってきてくれて。
早かったけど、風呂を沸かしてもらって、夜は〈高台寺〉のライトアップもいいですよ、歩いていけるし、なんて教えてもらって。
柚子を浮かべた熱い湯に浸かって、畳の上ででろーんと休んでたら、だんだん元気になってきたので、また出かけることに。
どっちにしろ夕飯は外だからね。宿でもおいしいフレンチをいただけるんだけど、けっこうお高いし、一人でカウンターで給仕されるのも、なんだか肩が凝りそうじゃない?ってことでさ。
高台寺は、そこまでの道のり、夜の京の街並みがスゴく綺麗だった。ひんやりして、暗いところは本当に暗くて、そこに街の灯りがともってね。
そうそう、今回の京都旅、十一月後半だってのに、すごく暖かかったの。昼間は十六度とかね、それくらいあると、ずっと歩いてると汗かいて大変だったよ、脱いだり着たりして。
でも夜は気持ちよかった。祇園の高級な天ぷら屋さんとか、路地に突然スゴくお洒落な靴屋さんがあったり、それでいて人はまばらで、旅情がたっぷり。
高台寺はね、まあ、ぼちぼち、でしたわ笑。
いや、綺麗よ、一面の紅葉が、そりゃもう綺麗にライトアップされてね、夜なのに観光客もスゴくて、壮観ではあるのだけれど。
やっぱりね、不自然、なんだわ。
紅葉も庭園も、それだけで素晴らしいのに、人工的に照明当ててまっせ、っていう、なんか違和感しかない。
これが他の観光地、あるいは都内でやってるイルミネーションなんかだったら、オレもすんなり受け容れられたんだろうけど、昼間さんざん、とてつもない寺社や霊的な直感を味わってきてるからね、まあ、そんなもんか、という感じ。
京都自体の地力、っていうか、ライトアップとか余計なことしなくてもとんでもないですからね、古都は。だからチープな印象しか残らなかった。
写真だと綺麗だけどね。ああ、そうか、写真映えするんだな。そういうことだよな。見る、より、見せる、ことに寄ってる時代だもんな。
インスタ映えするだろうし、インバウンド向けなんだろうね。
道すがらに見た塔もライトアップされてて、そっちは素直に綺麗だと思ったけどね。なんか自然だった。街並みに馴染んでる。
でもこれも、昔、照明なんてなかった時代に、かがり火なんかで下からゆらゆら照らされてる光景は、それこそ荘厳だったろうね。
大文字焼き、五山送り火っていうの?も、スゴかったんだろうねえ。メラメラとさ。
話は違うけど、京都って、煙草に寛容じゃない?
バス停とか公共の場所に灰皿がけっこうあったし、東京じゃあんまり見かけない歩き煙草のおじさんとかいて、煙草屋もけっこう生き残ってたり。泊まった宿も部屋で吸えたもんな。
そういうところも、いい意味で古いのかもね。余所は知りまへんけど、うちは吸ってけっこうどすえって。
なんか、禁煙禁煙っていう世の流れのなかで、悠然と構えてる佇まいに触れると、煙草ってのが逆に風流に感じられたりもしちゃうね。粋っていうかさ。
健康健康って、そりゃ大切でっしゃろけど、もっと肩の力ぬいてさって。
せっかくだから、一人だし、祇園のスッゲー高い天ぷら屋さんとか焼肉屋さんにでも入っちゃおうかって考えたんだけど、なんとなく気が向かなくて、宿のまわりをくるくる歩いて、ごはん屋さんを探した。
木屋町通りっていうのかな、宿のある通りは、めちゃくちゃ風情があって、由緒あるところっぽいんだけど、女将さんの言うには、最近は新しい店がたくさんできて、以前よりだいぶ賑やかになったらしい。
そういう所でもいいんだけど、どうせなら京都っぽいところ、なんて欲ばってたら、なかなか決まらなくて、大好きな水炊き鍋の店があったんだけど、そこは二人からじゃないとダメで。
だんだん寒くなってきた頃、ぱっと目に入った瞬間、ここだ!と思った店があってね。
いいね、いいじゃん、京都まで来て、町中華。チェーン店ぽいけど、イケてる感じ。けっこう客入ってるし、店員さんは中国系っぽいし。
ってことで即入店。よし。いいね。思った通り。カウンターにつくと、カタコトの店員さんに、とりあえず生。
言葉遣いは丁寧だけど、仕草やいろいろおおざっぱで、気をつかわない、くつろげる雰囲気。
こういう、お互いに気をつかいすぎない、雑な店は居心地がいい。実家のおかんに頼むみたいにタメ口で話しても、乱暴な風にならない。
小皿を何品か頼んで、ビールをぐいとやる。
隣のサラリーマンが、瓶ビールとラーメンを注文した。オレも瓶にすりゃよかったかな、とか考えながら、生をお代わり。
うん。うまい。でも、うますぎない。ちょうど、いい。
うますぎると、疲れるからな。
濃厚で胸焼けしそうなチャーシューの脂身を食いちぎって、レモンサワーを飲み干す頃には、旅の緊張も解けて、心身がほろほろにゆるんでいく。
さっきまでは京都観光にやってきた異邦人の気分だったが、今はもう地元の人の暮らしに溶け込んでいる、そんな安堵があった。
シメに、オススメだというもやし焼きそばを頼む。
目の前で、白衣に身を包んだ恰幅のいい男が中華鍋を振る。おたまで数種類の調味料をすくい、あの火力で野菜をさっと炒め、焼きそばが入って、鍋が踊る。
やっぱり中華は、家じゃダメだよなあ、とあらためて思う。こりゃ真似できん。
出てきた焼きそばは、うどんみたいにもっちりした麺で、食べたことのない味。台湾風?何風なのかわからんけど、オレのなかでは京風として刻まれた。
うまい。でもうますぎない。なんて最高の夕飯なんだろうか。
満腹になって、風の冷たい夜の木屋町通りをゆく。コンビニでスコッチの小瓶を買って宿に戻る。
もう一度風呂に入って、女将さんに氷をお願いして、ロックでやる。製氷機のではなくちゃんとした氷で、うまかった。
酔うほどに、身体が畳に溶けだしてしまうんじゃないか、というくらいに、疲れがどっと出た。布団に倒れこんだ。墜落した。つづく。
☞ やさしいやさしい甘み。食べ物がうまいっていいもんです。生きている証のようなもんです。〈京へ西へ。その十二〉