前回☞ 日本で一番、世界で一番うまい朝飯だって思ったもんね。〈京へ西へ。その三〉
2019年11月25日。最高の朝食をいただいて、部屋の畳でちょいと休憩して、いよいよ京の町へ繰り出す。
そうそう、まず言っておくと、この日、京都で一人になって一日目のこの日がね、もっとも京都を味わったというか、直感、インスピレーションがビンビンにキテた日でさ。
もうオレの人生においても最高の一日のひとつに数えられるような日だったわけなんだけど。
今思いだしてもね、その秘訣は、やっぱり、決めなかったこと、なんだよ。
この日まわろうかなあって考えてた鴨川の東側って、めちゃくちゃ行きたいって場所がなかったの。
この前テレビで吉岡里帆ちゃんが伏見稲荷の話してたなあとか、小説で読んだ哲学の道ってところ、まあただの小路なんだろうけど見ておきたいなあとか、武蔵が吉岡一門と戦った場所あるなあとか、そんな程度だったの。
だから、どこで何しようって決めないで、本当に流れるように、とりあえず近くの清水寺行って、それからのことは現地でその瞬間に考えようってね。
これもう、めちゃくちゃ快適なのね。
大人になってからは特に、スケジュールガチガチの旅ばっかりだったからね。
そういう決め決めのって、たぶん旅とは呼ばねえな。旅行、ツアーだわな。
決めないで、足が向くままに、だいたいこっちだろって歩いてると、いろんなものが勝手に目に入ってくるんだよね。
鴨川を渡って、通りを抜けて、だんだん観光客が増えて、地元の人がいて、古い家や店があって、モダンでお洒落な店もあって、観光地のない交ぜになった風情が、それでも、オレの世界の延長にあるっていう感覚があってさ。
何を見ても、何か感じる。
感じた何かが、オレの日常や、大切な何かに繋がったり、繋がらなかったり、心に残ったり、流れていったり。
旅に出る前、ちょうど、そんな、流れるとか、決めないとか、そういうゆるやかなことを考えていたときに、イチローが
「何かから何かを感じられる人間」
というような話をしていてね、ものすごく腑に落ちたんだけども。
イチローと誰かとの対談でね、チームリーダーについて話していて、リーダーは必要だけど、もっと大事なのは、それを見て何かを感じる人間がいなければ意味がない、と。
チームのことはオレはどうでもいいけど、何かから何かを感じる、っていう姿勢は、今ものすごく共感できるんですよ。
いや、僕らはみんなほっといても何かを〈感じて〉生きて、日々を暮らしているわけだけども、それ以上に、〈理屈〉を優先してるわけだよな。
心はこう感じているのに、頭が否定している。
みたいな、自分の中で生まれる葛藤、ねじれ、みたいなものが、人の苦悩だったりするでしょう。
死ぬほど疲れていて仕事を休みたいのに、休んだらみんなに迷惑がかかるとか。
それ、〈感じた〉ことには蓋をして、〈理屈〉を優先してる。
で、ずっとそれをやってると、感じてることに気づかなくなる。麻痺すんねんな。
理屈だけになる。
感じない。
感じてるのに。
痛みも、喜びも、なーんも感じなくなるのを、鬱って言うよな。
しんどいとか苦しいとか、それは憂鬱で、不安神経症で、ノイローゼで、鬱とはちゃう。
鬱って、哀しくないのに勝手に涙がこぼれること。一メートル先のドアまで歩けないこと。心が凍えて固まること。
だから、軽々しく鬱って言葉を乱用するなよな、とか思う。
なんつってね。あら、話がなんか違う方向になっちゃってまんがな。
〈理屈〉と〈直感〉って、〈左脳〉と〈右脳〉とも言える。〈考える〉と〈感じる〉でもいい。
考える人って、感じる人より、疲れるんだよね。ストレスも溜まりがち。
で、一見理屈のほうが正しくて、みんなにも迷惑かからないし、みんなもそうやってるし、そうやって教えられてきたしって思うんだけど、広く高く長く見てみると、感じたこと、直感こそが、いい感じに導いてくれるよと。
ああ、こういう大きな言葉で説明するのは無粋でヤなんだけどさ、まあ、よく話すけど、スターウォーズのフォースなんて、まさにそういうことだからね。
おまえの残念な頭で考えたってダメだけど、ちゃんとフォースってもんがあるからね、考えてないで、ゆだねちゃいなさいよと、マスター・ヨーダ言ってるでしょ。
さてさて。閑話休題。
ともあれ、行く場所や予定を決めずに、行雲流水、さらさら流れるように旅していると、感性と直感が冴えわたって、大げさに言えば、それこそ土地の空気から歴史、人々の息づかいまで知覚できてしまうんじゃないかってくらい感度ビンビンになるのだけれど。
でもね、清水寺へ向かう坂を登りながら、ああ、直感やらインスピレーションなどと口にするオレのような者は、そもそもが直感やインスピレーションに不自由なのだなあ、なんて感じたりもしたよ。
つまりさ、うちのママちゃん(家人)なんかは、ほっといても、そうやって、自分の感じるままに、そのときどきの判断と選択で、縛られずに生きているからね、そういう人って、目立つことがなくても、自然と、ゆるやかに、心地よく生きてて、直感とかインスピレーションなんて単語は口にしないわ。
「考えなければ、見えるというのに」
って、歩きながら書きとめたメモに残っていたよ。
そう、考えないで、無になって、感じたら、見たら、見える。わかる。道。これからのこと。未来。
考えるのをやめるって、お坊さんの本にもあって、いろいろノウハウが書いてあったけど、どうやったら考えるのをやめられるだろうって考えてる時点でね、やっぱ、旅にはいろんな効能があるわいね。
あらま、宿を出てから清水寺に辿り着く前に、こんなに長くなっちゃったわ。この旅行記、ちゃんと終わるのかしらね笑。つづく。
☞ 深紅の清水寺。この人生に何を願うのか。〈京へ西へ。その五〉