新橋駅前の岡山ラーメンが八月いっぱいで閉店になると教えてくれたのは、原価無視の贅沢な寿司をたらふく食わせてくれたきっぷのいい銀座の寿司屋の大将だった。

都内で用事があったり深酒をして遅くなったときは新橋に泊まることが多いのだが、翌朝、二日酔いでふらふらしながら界隈のラーメンやらうどんやらを喰らってから帰る、というのも楽しみのひとつになっていた。

ガッツリいきたいときは、「おにやんま」で肉うどんにとり天トッピングを啜り、ラーメンなら、タモさんも足繁く通ったという新宿「満来」の流れを汲む「ほりうち」で特大肉のさっぱりチャーシュー麺に生卵を落とすか、「博多天神」の珈琲のごとく濃厚な白濁豚骨ラーメンにキクラゲをたっぷり入れたのか、銀座口を出てすぐにある、岡山ラーメンこと「後楽本舗」で古き良き岡山ラーメンを餃子セットでかきこむか。

そんな俺の、新橋の昼の気怠い二日酔いランチの一角をなしていた岡山ラーメンが消えてしまうとは、ほほうと、しばし呆然としてしまうくらいの驚きではあった。

創業二十年。経営はジャンクな焼きそばで有名な有楽町の「後楽そば」と同じだという。残念ながらそちらも数年前に閉店したのだが、なんと五反田に復活しているらしい。

ともあれ、昨晩あれだけ寿司やら酒やら食って飲んでしてさらに酔った勢いで最近はあまり吸わない煙草を吹かしたりもして胃腸をいじめたにも関わらず、満腹中枢が麻痺しているのか、コロナと猛暑で頭がおかしくなっているのか、ぐうぐう鳴る腹をおさえて、これが最後になるかもしれないという切なく慕情めいた気持ちを抱えながら、後楽本舗へ向かった。

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さて、さっそく店舗入口に閉店のお知らせとカウントダウンが掲示されている。わかっていて来たものの実際に目にすると物悲しさがひとしおである。

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いつものあのチャキチャキしたおばちゃんは元気だろうか。暖簾をくぐると閑散とした店内になんと先客は一人のみ。若いおにいちゃんだったと思うが、この新橋の人気店の平日の昼どきに客が一人というのは、なるほど納得するしかないコロナの経済圧迫とパニックに陥って感染数のみに右往左往する人間の心の弱さの一端をまざまざと見せつけられた気分である。

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そんなにしょっちゅう来ているわけではないのにいつも常連ぶりたがる俺は、なにげない顔をして「ネギチャーシューをセットで」とわかったような口ぶりで注文。おばちゃんもいつものごとくチャキチャキと江戸っ子ふうに注文を受け、厨房に伝える。

ラーメンを待っている間にお客さんが三組くらい入っては来たのだが、ここはふだんならもっと忙しなくてやかましくて、街やそこで働く人たちの活気やエネルギーを感じてそれを循環するような店なので、いつもと変わらぬ接客のおばちゃんもなんとなく物足りなさそうに見える。

岡山ラーメンというのはここでしか食べたことはないのだが、このほどよく濃厚なのにさっぱりとした味噌汁を飲んでいるような、家庭の味の延長にある味わいが、疲れた胃に最高なのである。ちょうど「ほりうち」のラーメンと同じ、よそいきでない、褻(ケ)のラーメンの旨さ、である。

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いつもなら相席で肩を寄せながらちゃっちゃと啜るラーメンだが、今日はゆったりのんびりしている。ああ、いつも俺はこれを食べながら、街の活気も一緒にもらってたんだなあ、と二日酔い独特の感傷に浸りつつ、麺を啜り、ネギを噛み、餃子に食らいつく。

おばちゃんと話したことはなかったのだが、最後になりそうなので、お会計をする際に「おかあさん、移転とかしないの?」と訊くと、いつもの元気な表情が寂しげに曇り、「とりあえず、撤退ね」と。「残念だなあ」と金を払い、「あと一回来れるかわかんないけど、最後にもっかい来たいな」と言うと、「またぜひ」とやさしく笑う。

店を出ると、新橋、銀座の街には、いつもの夏と同じむっとした熱気と陽光が満ちている。通行人もそれなりにいる。でも、今年はやっぱり、いつもの夏とは違う。マスクをしていたおばちゃんの表情ははっきりとわからなかったけど、もしかしたらもう二度と会うことはないのかもしれないなと思うと、胸に疼くものがある。

もうすこし何か言えばよかったな、と思った。「いつもおいしかった。今までありがとう」くらい言ってもよかっただろう。そう思って振り返ってみる。いつもの黄色い看板がある。おばちゃんの姿は見えない。街の音が聞こえる。やはり踵を返して、駅に向かって歩いていく。やっぱりいつもと同じようで、いつもと違う夏だった。

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