外でおいしいものを食べたり、テレビでおいしそうな料理を見かけると、とりあえず奥さんに「ねえ、これ作ってくれない?」と言ってみる。その料理が彼女の好みや手を伸ばせる範囲にあるときは、彼女なりに再現してくれる。
奥さんはもともと料理が上手なのだが、二十年も一緒にいると、僕の好みの味を熟知して、それに合わせてこしらえてくれるので、僕にとって彼女以上の料理人はいない。偉そうな言い方になるけど、世界一のシェフである。
そんな夕食__たとえば鶏挽肉と白菜のあんかけ丼だとか、タコとトマトとアヴォカドのジェノベーゼだとか__を食べて、ソファですこしひと休みしたら、洗い物を片づける。それからアイスクリームを食べ、エスプレッソを飲み、歯を磨き、リビングに家族を残して僕は早々に寝室に入る。
ベッドのヘッドボードを背もたれにして、スコッチや芋焼酎を飲みながら、本を読んだり、Apple TVで映画を見たり、音楽を聴いたり、テレビのバラエティ番組を眺めたり、MacBookでブログを書いたり映像編集の作業をしたりする。酒は飲まないこともある。
そんな一日の終わりの静かな一人の時間に、__AppleのHomePod miniを買った。
スマートスピーカーに興味はなかったのだが、そのコンパクトなサイズと価格とAppleらしいシンプルでクールなデザインは、予想していた通りに、僕のベッドサイドテーブルにぴったりフィットした。あたかもここに置かれるために発明されたかのような、何年も前からずっとここにいましたよ、というような顔をして。
HomePod miniに電源はなく、物理的な操作は上部をタップするだけだ。おじさんなのでデバイスを声で操作するというのはどうにも気恥ずかしいのだが、せっかくだから、__ヘイシリ、ヘイシリ、とまだ見ぬ孫に向けるような声をかけて、いろいろ試してみる。
あいかわらずSiriは言うことも発音もどこかピントがずれることもあるのだが、それでも、iPhoneやiPadと違い、ディスプレイを持たない、ただ音を出すだけ、喋るだけのデバイスに声をかけていると、__いずれは本当にAIと会話をして暮らす日常がやってくるのだな、という予感が実感として沸いてくる。
なにしろHomePod miniは〈耳〉がいい。iPhoneやiPadやApple Watchにヘイシリと話しかけても、耳の遠い老婆のようにおかしな聞き間違えをされたり、完全に無視されてこちらが独り言をしたかのように恥ずかしい思いをすることがまだしばしばあるが、こいつの耳はしっかりしていて、たいていのことにはきちんと応えてくれる。電源がオフにならない彼女は、いつもじっと耳を澄ましているのだ。
__夜、あとは寝るだけだ、という静かな終わりの時間に、寝室というプライベートな密室に、HomePod miniはとてもよく合う。
灯りを消し、枕元のランプだけにして、身体を横たえ、Kindleで肩の凝らない本を読みながら、眠気を誘っていく。そんなときに、Apple TVのリモコンを探したり、iPhoneやiPadなどのディスプレイのブルーライトで目と脳を刺激したくない。
だから、薄闇に向かって声をかける。__ヘイシリ、アコースティックギターの静かな曲をかけて。やがてやさしいギターが流れ出す。__ヘイシリ、スリープタイマー三十分。__ヘイシリ、七時に起こして。__ヘイシリ、おやすみ。
__みゃあ。ときたま、Siriの代わりに猫が返事をして、布団に潜りこんでくる。かりんさまも、おやすみ。寒い夜に、ギターの音色が微かに聞こえている。僕は眠りに墜ちていく。