WWDC 2013で最も目を惹いたのは、Mac Proの劇的な刷新とiOS7の大幅なデザイン変更だったが、iOS7のアイコンデザインやカラーリングにはいささか議論があるようだ。
流行のフラットになったのになぜか垢抜けないアイコンはともかくとして、たしかに配色はやや明るすぎるし、Appleがいつも見せてくれるような唸るほどのクールさや驚きには欠けている、と僕も個人的には感じた。
ただ最近よく思うことがある。
「僕はいつからAppleに対して、これほど懐疑的な視点を持つようになったのか?」
ジョブズがまだ生きていて、このフラットデザインのiOS7を発表したら、僕らはもっとすんなり賞賛をもって受け入れたんじゃないだろうか。
ジョブズが亡くなったあの日から、僕を含めた世界中の多くの人々が、無意識のうちにAppleプロダクトのあら探しをするようになってしまったような気がする。あら探しとまではいかなくても、製品に少しでも欠点やほころびを見つけると、ジョブズ不在を嘆き、Apple帝国の終焉をしたり顔で語りはじめた。
かくいう僕も、『Appleが船長を失って海賊をやめたんなら、海軍Googleにすりよるべきだろう。』という記事でわかったような口をきいているのだが、そんな僕らの論調の根底にあるのは、「ジョブズは天才で、クックは凡人」という思いこみである。
ジョブズが天才だったということに議論の余地はないが、あのいささか神経質そうでスター性に欠けるルックスのティム・クックというCEOは、本当に凡人なのだろうか。
そんな疑問を抱いていたところ、ITジャーナリストの林信行さんがITmediaに書いた以下の記事がとてもわかりやすかったので、ぜひ読んでいただきたい。
▶ WWDC 2013所感:アップルがWWDC 2013で伝えた「本当に大事なこと」 – ITmedia PC USER
ジョブズは亡くなる前、後任のティム・クックに「私だったら何をしただろうかとは考えるな。ただ正しいことをやれ」と伝えたという。__上記記事より
クックは、ジョブズならどうするか、というジョブズ思考を身につけた一番弟子であると聞いていたのだが、事実は正反対だったようだ。たしかにどれだけ思考を真似たとしても、そんな付け焼き刃の判断がAppleの成功を維持できるとは思えない。
そしてその言葉どおり、クックは自分が信じた正しいことをやり続け、見事な結果を出し続けている。業績や他社との競合にも、あら探しをすれば衰えを感じさせる部分はなくもないが、マップの失敗も含めて、全体的に俯瞰してみるとAppleは衰えているどころか、今までどおりの航路をまっすぐに突き進み、しっかりと前進していることが記事からもわかるだろう。
アップルにとって最も大事なのは、製品を使って他社を打ち負かすことではなく、人々の日々の暮らしの中で本当のよろこびを与え、人生をよい方向に変えていく体験を作り出すこと。 __上記記事より
アナリストやしたり顔の僕らは、すぐに製品や業績を他社と比較したがるが、そんなことには何の意味もない。僕らがMacやiPhoneを使うのは、それらが魅力的で、僕らの生活を豊かにしてくれるから、というただそれだけの理由からだ。
僕は生粋のAppleユーザーだが、べつにこの一企業に魂を売っているわけではない。Appleが提供するものと同等の製品があれば、そちらのほうがクールであれば、それを選ぶことだってあるだろう。
ジョブズがいなくなっていちばん変わったのは、Appleではなく僕らのほうだったんじゃないだろうか。
クックが偉大なる先代と肩を並べることは難しいかもしれない。だけどAppleを愛する僕らユーザーは、ジョブズのプレゼンに心を躍らせていた頃と同じように、まっすぐな瞳で今後のAppleを見守っていくべきだろう。
僕が初めて買ったAppleプロダクトである「Power Macintosh 5500 / 225」は、ジョブズのいないAppleが産みだした、いわば低迷期のMacだったが、僕にとっては、永遠に代えがたい愛すべきMacだ。あれを手放してしまったことを、今でもたまに思い出して激しく後悔している。