最近、我が社は経営方針の変更で仕事内容がけっこう変わってきています。
何年も慣れ親しんだ仕事の手順や扱う内容が唐突に変わると、どうしても戸惑ってしまうことが多く、「これは自分には向いてないなあ」とか「あの人の方が合ってるよ」とか思ってしまいがちです。
でもそんなとき、ある先輩にこう言われたのです。
自分に向いているかいないかよりも、自分が前を向いているかどうか。
たしかに人には得手不得手があるので、好きなものや嫌いなもの、向いている仕事や向いていない仕事があるのは事実です。
だけど好きなものや得意な仕事ばかりを選んで生きていけるわけではありませんよね。
好きな仕事をやっていても苦手な分野はあるでしょうし、自分に向いていることだけをやって生きている人はいないでしょう。
だったら、どんなことに対しても、「それが自分に向いているかどうかを考えるよりも、何に対しても自分が前向きにいられるか」のほうがずっと大切ではないでしょうか。
向いていない、は自分が決めた限界
そもそも、自分に本当に向いていないことなど、そんなにたくさんあるのでしょうか。
不向きだと思うことのほとんどは、自分の思い込みじゃないでしょうか。
事務仕事が苦手だとか、運転が下手だとか、ヘディングがうまくできないとか、デザインがわからないとか、手先が不器用だとか、思っていることをうまく伝えられないだとか、そういうのって、ほとんどが努力をする前に自分で決めてしまっている「限界」なんじゃないでしょうか。
言い訳はいつだってできる
サッカーの本田圭佑選手は、そのサッカー人生において壁にぶち当たる度に、フリーキックや肉体改造、得点への積極性などの新しい武器を身につけた結果、今のような日本を代表する選手になれたそうです。
その根底にあるのは、向き不向きを超越した、健気な「前向きさ」ではないでしょうか。
学生時代もグランパスでもオランダでも、そこのサッカーや環境に自分が向いているとか向いていないとか言い訳を考える前に、ただひたすら前を向いて新しいものを身につけた彼を見ていると、どんなことだってできるかもしれないな、なんて大仰なことを思ったりします。
たまに下を向くことがあっても、後ろだけは見ないで、前へ進んでいきたいものですね。
▶【言の葉】「雨が降れば傘をさす。こけたら立ちなはれ」松下幸之助
▶【言の葉】「君らもファン・デル・サールやスナイデルになれるんやで」本田圭佑
▶【言の葉】「夢を見ることができるなら、それは実現できるんだ。」ウォルト・ディズニー
▶【言の葉】「すべての人にすこしだけユーモアを」メグ・ライアン
▶【言の葉】「悲観主義は気分のものであり、楽観主義は意志のものである。およそ成り行きにまかせる人間は気分が滅入りがちなもの