トイレで新聞や本を読む人は多いだろう。
僕も若い頃は、トイレに小説やマンガを持ちこんでは、時間を忘れて読みふけっていたものだが、最近は忙しくてそうそうゆっくりもしていられない。
むしろ時間のない1日の中で読書時間を捻出する方が難しいほどなのだが、考えてみればトイレの時間というのは、どう足掻いても決して省略のできない貴重な時間なのだからと、最近は意識的に情熱的に、大切な時間をしっかりと噛みしめるように、トイレ読書を進めている。
立花岳志(@ttachi)さんに倣って、複数の本を同時進行で読むようになってから、読書がより楽しく、効率的に進むようになってきた。
現在は、いちばん読みたい本を通勤カバンに入れて、あとはiPadのKindleアプリの複数冊から気分で選ぶほかに、トイレにも常時何冊かを用意している。
家族5人で共用している小さな密室にはたくさんの本を持ちこめないが、いつも難解な書籍ばかりでは疲れてしまうので、雑誌や小説、エッセイなども置いていくうちに、小さなトイレ文庫ができあがってしまった。
「トイレに本棚でも置いたら」などと家内に言われるが、できることならそうしたいくらいだ。
仕事やプライベートが忙しくなって、読書時間が圧迫されればされるほど、トイレ文庫の存在は貴重なものになる。
ハードな仕事を終えて帰宅し、家族で楽しく夕食をとった後のわずかな時間、テレビを眺めるのではもったいないし、ブログを書いたり勉強をするほどの気力は残っていないし、リビングは子どもたちが騒々しいので落ち着かない。そんなとき、トイレに入ると、短時間ではあるが集中的に読書に没頭できる。仕事や対人の緊張から解放された、1日の終わりのゆったりとした時間に読む本は、何にも邪魔されずにすっと頭に入ってくる。
あるいは、仕事や勉強で息づまったときや、家族とちょっとした言い争いをしてしまったときなどに、トイレに逃げこむと、賢者の言葉たちがやさしく迎えてくれる。僕なんかよりずっと苦労して人生を這い上がった人たちの様々な価値観に触れると、直前までの諍いが馬鹿みたいに思えてくる。
きっと家族は誰も気づいていないだろうが、何食わぬ顔でトイレを出る僕の心は、数分前よりすこしだけ前向きに、やさしくなっていたりする。僕は、さっき熱くなって叱り飛ばしてしまった長男の肩にそっと手を置いて言う。
「パパもちょっと言いすぎた。ごめんな」
長男はふてくされた顔で頷くと、逃げるようにトイレに入る。
もしかしたら彼も、トイレの中で誰かのやさしい言葉に触れて、すこしだけ前向きになって出てきてくれるかもしれない。
読書という宝物。本を読むというただそれだけで、僕らはいつだって成長できるのに。 | THE KLOCKWORKS