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昨日、アップルのコンピュータ「マッキントッシュ(Macintosh)」が、発売から30周年を迎えたという。

1998年の春。僕が生まれてはじめて買ったコンピュータは、「Power Macintosh 5500/225」という機種だった。HDDは4GでCPUは225MHz。僕は22歳で、何者でもなかった。

 

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当時はまだ高価だったプリンタとスキャナ、ペンタブレットを同時に購入して、まとめてローンを組んだ。

雑誌「CUT」の写真をひたすらスキャンして、イラストを描いて、ポスターやステッカー、CDジャケットなんかを自作した。身辺雑記を書くようになって、いつの間にか小説らしきものを書いていた。

僕がMacを選んだのは、欧米文化の色濃い国際学校に六年も通ったことと、アメリカ映画ばかり観ていたからだと思う。

スクリーンに映し出されるコンピュータには、たいてい虹色の林檎マークがついていた。

無機質な象牙色に添えられた、場違いでポップなそのマークを、いつか自分のものにするのだと、無意識に心に決めていたのだろう。

秋葉原から友だちの車で家に持ち帰って、生まれてはじめてMacを起動した瞬間を今でも鮮明に覚えている。

ジャーン!という起動音が思いのほか大きくて、僕の胸は驚くほど昂ぶっていた。

アナログ回線ではじめて繋いだインターネットの殺風景なチャット画面で、どこかの見知らぬ誰かが挨拶してくれたときのことも、鮮明に覚えている。

「こんにちは」 ___Hello, world.

たしかにあのとき、僕はMacと出会うことによって、新しい世界に足を踏み入れたような気がする。

アルバイトを終えた深夜にMacを起動すると、いつもCDドライブに入れっぱなしの吉田美奈子のアルバムが自動的に流れだした。

一曲目の「愛は彼方」のイントロを聴くと、あの頃の部屋の風景や、そばにいた人たちのことを思い出して、胸に微かな痛みが刺す。

あの頃は、Macがあれば何でもできる気がしていた。Macは僕にとって「夢の箱」だった。

けれど僕は何者になりたいのかがわからなくて、Macを使って何かを目指すわけでもなく、気がつけばワープロソフトで独りよがりの文章を書きなぐっているだけだった。夢の箱は「王様の耳はロバの耳!」と叫ぶための、暗く深い穴になっていたのかもしれない。

やがてHDDに異常が見られるようになって、ほとんどMacに触らないようになってしまった頃、ジョブズが正式にアップルに復帰して、トランスルーセントのiMacが世の中を騒がせはじめた。

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2002年の夏。HDDがクラッシュして動かなくなった初代Macの後継に、「iBook G3 700MHz」を買った。

ホワイトのポリカーボネイトのボディは、通称「はんぺん」と呼ばれるモデルだ。

時代はOS Xに移っていた。後に「iLife」として統合されるiPhoto、iTunes、iMovieなどが生まれ、まだ完全に実用レベルではなかったけれど、生活にデジタルがぐっと近くなりはじめた頃だった。

同じ頃、ネット回線がブロードバンド化したこともあって、ジョブズ復帰以降のたった四年間で、Macは別物のように真新しく、斬新な姿に変貌していった。

やがて僕は結婚をした。引っ越しをして、いくつか職を替え、子どもを育てた。

家族の写真やビデオを撮影して、iBookで編集した。エッセイや小説を書いて、二人目の子どもが生まれたとき、茅ヶ崎へ引っ越した。

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2008年の秋。海辺の家の書斎に「iMac 20inch 2.4GHz」がやってきた。現在では各社が展開している、筐体とモニターが一体になったスリムなデスクトップコンピュータも、Macがはじめだった。

2009年には「iPhone」、その翌年には「MacBook Pro 13inch」を買い、リビングには「Apple TV」を置いて、「iPad3」や「MacBook Air」も仲間に加わった。

アップルが世界的に成功をおさめるのと同時に、僕個人の日常におけるアップルの色合いも次第に濃くなっていき、今ではMacもiPhoneも、なくてはならない存在だ。

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「世界を変える」旅の途中で、雲の上にいってしまったジョブズを想うと、強い感謝の念が湧いてくる。

僕の人生には、いつもMacがあった。そしてこれからも、僕はMacを使いつづけるだろう。

2014年1月25日午後4時33分。書斎にて。階下から子どもたちの笑い声が聞こえる。Apple TVでpixarのTOY STORYでも観ているのかもしれない。ありがとうスティーブ。

ジョブズがいなくなっていちばん変わったのは、Appleではなく僕らのほうだった。 | CLOCK LIFE*



だけど明日死ぬかもしれないから、今日も死にものぐるいでやってみることにする。 | CLOCK LIFE*