A coffee in the morning (or working late)
A coffee in the morning (or working late) / F H Mira
 

僕が今就いている仕事は、誤解を恐れずに言えば、人が嫌がることをしてもらうことだ。

仕事のすべてがそうだというわけではなくて、ある側面がそうであるということなんだけど、でもたしかに、人がやりたくないと思うことをやってもらう、というのが僕の仕事の一部分ではある。

なぜそんな仕事をしているのか、自分でもよくわからない。

「世の中には弦楽四重奏曲をつくる人間もいれば、レタスやトマトをつくる人間もいる。駅をつくる人間だって何人かは必要なんだよ」

 

___『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』村上春樹

ブログを書いて暮らしたい、と言うと、怪訝な顔をされることが多い。

笑われるとか馬鹿にされるとかいう以前に、どういうこと?と真顔で訊かれる。

僕はその度に具体的な収益構造や実例を事細かに説明するのだけれど、説明しているうちに、本当にそんなんで食っていけるのか、と不安にもなってくる。

ブログを軸にして、多方面に仕事の幅を広げていき、新たなマーケットを創造して、複数の収入源を持つ、という考えもあるけれど、いつの間にか頭が硬くなっている僕は、そんなんで食っていけるのかと思うと同時に、そんなんで食っていっていいのだろうか、と思ってしまったりもする。

社会の役に立つ組織の中で、身の丈に合わせて精いっぱい働いていればいいんじゃないか。

肉や魚や野菜や花やドーナッツを売って、顔を合わせる人たちをすこしだけ幸せにできればいいんじゃないか。

あえてリスクが高くてよくわからない仕事に夢を馳せることはないんじゃないだろうか。

そんなふうに気弱に俯く夜もあるのだけれど、でも、ゆっくり振り返ってじっくり眺めてみると、世の中には、よくわからない仕事が溢れている。

ブロガーはもとより、コンサルとかコーチングとかセミナー講師とか、登山家とか、入浴介護士とか、ゴーストライターとか、おくりびととか、教頭先生とか、プロサッカー選手とか、作家とか、よく考えてみると、仕事ってなんだか不思議なものだ。

そういうのをずらっと眺めてみると、世の中にはブログを書く人間だって何人かは必要なのかもしれないな、と思えてくる。

人がやりたくないと思うことをやってもらう、というのも、言うまでもなくすごく立派な仕事だと思う。

けれどその仕事のどこか一部分にでも、本人が喜びを見出せなければ、その先に希望を持てなければ、それはいい仕事とは言えない。

仕事はどこか恋愛に似ている。条件や待遇の良し悪しよりも、大事なものがある。

僕は、一生をかけたその大恋愛だけは決してあきらめたくない。振り向いてもらえるまで追いかけつづけたい。たとえストーカーと言われようとも。

2014年4月17日。午後8時11分。書斎にて。風呂場から子どもたちの笑い声が聞こえる。

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