僕はしばしば、優れた文筆家の呪いにかかる。
高校生の頃は筒井康隆や大槻ケンヂ、大学に入ってからは花村萬月を中心に、中島らもや村上春樹、村上龍や山田詠美や町田康や原田宗典といった現代のポップな作家たち、はたまた井上靖や夏目漱石からスティーブン・キングやカート・ヴォネガットまで、そのとき心酔した作家の文体や書く内容の傾向、思想が自然と身についてしまう。
自分で影響を受けてパクっておきながら身勝手な話だが、僕はこれを「作家の呪い」と呼んでいた。
最近の小説新人賞の応募作は、村上春樹みたいな文体のものばかりだという言うけれど、どうやらそういうことだ。やれやれ。
RyoAnnaという唯一無二。
@RyoAnnaというとてつもないブロガーがいる。
#RyoAnnaBlogはとても有名なので知っている人も多いだろう。ここで扱われているのは、クールなiPhoneアプリやWebサービス、ガジェットに書籍や映画の紹介など、よくある一般的なジャンルだ。
それでも#RyoAnnaBlogは、他のどのブログとも一線を画する、唯一無二の存在である。
その軸には二本の柱がある。並外れた文章力と、そして卓越した選球眼だ。
研ぎ澄まされた文章
Ryoさんの文章には一切の無駄がない。余計な言葉はすべて排除されて、極限まで研ぎ澄まされている。
僕のようなその他大勢が書く文章が、河の上流に転がるゴツゴツとした岩ならば、Ryoさんの文章は、長い年月をかけて河を転がりながら削られ、磨きあげられた、硬く艶やかな丸い石のようだ。
一点の曇りもない小さな石が清流の底に静かに佇むように、磨きぬかれたセンテンスが連なっている。
百聞は一見にしかず。5000以上ものはてなブックマークがついている『読みやすい文章を書くための技法』という記事を読めば、彼の文章に対する知識と表現力、そして何より底に這う情熱が理解できるだろう。
『伝え方が9割』にあるように、読ませるテクニックが重要視されるWebメディアにおいて、これほどシンプルなタイトルで、5000以上ものはてなブックマークという反響だけを見ても、そのすごさがわかる。
その透徹した無駄のない文章は「棒の哀しみ」のような、乾いたハードボイルド小説を彷彿させる。そんなRyoさんを、僕は心の裡で「ブログ界の北方謙三」と呼んでいる。
卓越した選球眼
その文章力がいかんなく発揮されるのは、人と違う魅力的なモチーフとテーマを見逃さない感性があってこそだ。
#RyoAnnaBlogで紹介されるジャンルは他とほとんど変わらないはずなのに、そのひとつひとつはことごとくスタイリッシュで、魅力的な輝きに満ちている。
まだ多くの人が知らない材料をその卓越した選球眼で探りあて、シャープなスウィングでホームラン級の記事に仕立てあげる姿は、まさに熟練のスラッガーだ。
すこしくらい外れ気味のボールですらも、技術と情熱でスタンドまで運んでしまうその姿を、僕は心の裡で「ブログ界の落合博満」と呼んでいる。
RyoAnnaの呪い。
自分がRyoAnnaの呪いにかかっていることに気がついたのは、つい一ヶ月前くらい前のことだ。
ある日唐突に、ブログを書くのが苦痛になった。頭に言葉が浮かばず、タイプが進まなくなって、ふと書斎の天井を見つめると、赤いジミヘンのアイコンが宙に浮かんでいた。
それは嘘だけど、自分が呪われていることに気がつくときはいつもこんな感じだ。心酔した誰かの文体や思考にからめとられた僕は、首のあたりが苦しくなって、文章を書くことが困難になってようやく、呪われていたことに気がつく。
なぜなら僕はRyoAnnaにはなれないからだ。村上春樹にも、花村萬月にも、僕以外の誰にもなれはしない。だから最後には苦しくなって、ぜえぜえと息を吐きながら本来の自分に戻る。
呪いが解けると、自分にとっていちばん書きやすい方法が見つかって、すらすらと書けるようになる。そのとき書いたのが『僕は頭が悪いから、チャレンジしつづけるしかないんだとあらためて思う。』という僕の半生と心情を吐露した記事だ。
でもこの記事は、RyoAnnaの呪いがあったからこそ書けた記事だと思う。
あらゆる文章において大切な書き出しや締め方、構成、引用の使い方など、読みやすい文章を書くための技法や情熱を、無意識にRyoさんを模倣したことである程度身につけて、そこから解放された後だからこそ、構成を無視した垂れ流しの文章にも一貫性が保て、破綻せずにすんだ、と自分では思っている。
余談だけど、以前には「OZPAの呪い」というのにもかかっていた経験がある。彼の真似をしておちゃらけたギャグを散りばめた記事を無意識に書いていたことがあったんだけど、今読みかえすと深い穴に永遠に潜りたくなる気分だ。彼の名誉のために言っておくけど、寒いのは二番煎じの僕であって、OZPAくんは圧倒的におもしろいです。閑話休題。
呪いから醒めたとき、僕は以前よりすこしだけ成長している自分に気がつく。「すべての芸術は模倣からはじまる」と言うように、RyoAnnaというトンネルをくぐるうちに、僕はいろんなことを学ぶことができたようだ。
僕はRyoさんのような透徹した文章は書けないし、魅力的なテーマを提供しつづけることもできないけれど、彼の中からいくつもの宝石を見つけた。今日も僕はその背中を追いつづけることで、きっと僕だけの違う道を見つけることができると信じている。
Ryoさんの文章はクールでドライだ。だけど乾燥した大地に雨水が沁みこむように、ときにユーモアとやさしさが降ってくる。
そんなRyoAnnaが、僕は好きだ。
私は美しい文章を書けるわけではない。プライドを持って推敲を重ねているだけだ。
引用元: 読みやすい文章を書くための技法 – #RyoAnnaBlog.
読みやすい文章を書くための技法 – #RyoAnnaBlog
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