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お義父さんには、二度許してもらっている。

一度目は今から十四年も前、僕はまだ二十代前半で、世の中の何も見えていなくて、本気を出せば何だってできると信じていた(けど何もしないような)、どうしようもない馬鹿だった。

「娘さんと一緒になることはできません」と僕は言った。

今日のようによく晴れた晩春の午後だった。

お義父さんは、床に額をすりつけたままの僕の肩にそっと触れた。

「わかったから、頭をあげなさい」

何発か殴られても仕方がないな、と覚悟していた僕は、肩をこわばらせたまま、おそるおそる顔をあげた。

お義父さんの眼は笑ってはいなかったけど、怒っているようでもなかった。

「君たちのしたことは、褒められるようなことではないけれど、君は、自分の信じた道をいきなさい」

それを聞いたとたんに僕の瞳から涙がぶわっとあふれた。けどきっと、泣きたかったのはお義父さんのほうだったにちがいない。

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二度目はそれから数年後、やっぱり季節は春だった。

「娘さんを僕にください」

前とはまったく逆のことを、恥知らずな僕は言った。

お義父さんは「そうか、ありがとう」と言って、僕みたいなどうしようもない小僧を許してくれた。

そのおかげで僕は今、何よりも大切な家族と、毎日笑って暮らすことができている。

お義父さんの末期癌が見つかったのは、つい数ヶ月前のことだった。

見る見るうちに痩せ衰えて、体が半分くらいの大きさになってしまったお義父さんは、それでもようやく退院することができて、ハナミズキの季節を自分の家ですごすことができた。

もう大好きなビールも焼肉も枝豆も食べれなかったけど、家でお義母さんとすごすお義父さんはとても幸せそうだったと言う。

過日。お義父さんは自宅のベッドで、携帯電話を握って座ったそのままの姿勢で、息を引きとった。

いつまでも家にいたいと願う一方で、病弱なお義母さんとの闘病生活の難しさを知ったお義父さんは、家族に迷惑をかけないように、自分で病院を探して、あらためて入院の手続きを取ったのだ。

酸素吸入器を付けて、一人ではトイレにもいけないような体で、お義母さんに何があってもいいように、着替えなどの荷造りや身辺の整理をして、息も絶え絶えながら何本も電話をかけて、ようやく前にお世話になっていた病院に入院することができることになった。

前日に、子どもたちの学校を休ませて、家内がお見舞いに訪れた直後のことだった。

孫たちに痛々しい姿を見せたくないと、かたくなにお見舞いを拒んでいたお義父さんだけど、家内が黙って子どもたちを連れていくと、とろけるような笑顔で迎えてくれたという。

お義父さんは、安心したのだと思う。

立派に成長している孫たちと家内の顔を見て、いちばん心配しているお義母さんの今後の心配もなくなって、自分が病院へ戻ることで家族みんながいつもの生活に戻れる、家族みんなが大丈夫だと、家族みんなが幸せになれると、安心した瞬間に、生を繋いでいた最後の一本の糸が、ぷつんと切れたのだろう。

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昨日、お義父さんが歩いた道に、ハナミズキの木を見つけた。

一青窈が唄うように、薄紅色の可愛い花がついていた。あの歌は、9.11のテロに心を痛めて書かれたもので、「親子の別れの歌」だという解釈があるらしい。

お義父さんは、いつだって「許して」くれた。何だって、許してくれた。叱ったり、たしなめたり、道しるべになってくれることはあっても、最後には必ず、すべてを許してくれる人だった。

人を「許す」ってことは、言うほど簡単なことじゃない。

誰かを許す、というのは、責任を持つ、ということだ。それには忍耐力も包容力も必要だし、信頼だって体力だってお金だっている。

お義父さんは、電話の最後にいつもこう言った。

「りゅうくん、いつもすまないね。許しておくれよ。みんなのことを、よろしく頼むよ」

これから何があっても、僕は家族を許したいと思う。家族みんなを許せる力を持ちつづけたいと思う。

お義父さんがそうしてくれたように。

僕の我慢がいつか実を結び、果てない波がちゃんと止まりますように。
君と好きな人が、百年つづきますように。

___『ハナミズキ』一青窈