Smoking
Smoking / liber
煙草をやめてから、たぶん三年くらいになる。

吸いはじめたのがたしか中二くらいだったから、だいたい二十年くらいは毎日煙草を吸っていたらしい。

村上春樹さんは、どこかのエッセイで「煙草をやめるコツは三ヶ月くらい一切仕事をしないことだ」と言っていた。

煙草とストレスが密接な関係にあるのはわかるけど、自由に時間を使える春樹さんのような小説家と違って、三ヶ月も仕事をしないというのは、僕のような一般庶民にはまったく現実的でなくて、無理なことを言うなよな、とか思っていた。

ところが何年か前に家内が倒れて、いきなり三ヶ月くらい仕事をしない、というか、会社へ行けないという状況になった。

自分では禁煙しようなどとは思っていなかったのだけれど、いつの間にか煙草を買いに行く回数が減っていって、気がついたら一切吸わなくなっていた。

とはいえ、その期間に僕がノーストレスでのうのうと生きていたかというと、そういうわけでもない。

家内の面倒を看ながら、子どもたちの世話や送り迎えをしつつ、減っていく貯金額を睨んで、これから僕らはどうやって生きていけばいいのか、と、具体的でありながら漠然とした巨大な不安を抱えながら、どうにか毎日をやりすごしていたのだ。

あれからいろいろあって、どうにか生きる希望とか道筋とかが見えてきて、世界はずいぶん明るくなった。

今も僕は煙草を吸っていない。

けれど、まったく吸わないというわけでもない。

煙草を吸っている人と呑みにいけば、一本だけちょうだい、とか言って、けっきょく何本も無銭して、プカプカと煙をくゆらせてしまうこともある。

ことに最近は、そうでなくても、リラックスした週末なんかに、無性に煙草がほしくなる夜もある。

さすがにまだ自分で買い求めるようにはなっていないけど、これからまた、多少煙草を吸うようになってもかまわないんじゃないか、とは思っている。

身体が絶好調の十代から二十代に煙で身体を汚して、将来を深刻にとらえる三十代には健康に気を配っちゃったりして、人生のなんたるかがすこしずつ見えてくる四十代には、また煙で気持ちを落ち着かせても、それはそれで、そんなにわるいことじゃないような気がする。

すくなくとも、昨今の嘘まみれの嫌煙運動が言うように、僕の人生が煙草によって損をするとは思えない。

それはともかくとして、今唐突に、昔観たデイビット・リンチの『ワイルド・アット・ハート』というロードムービーを思い出した。

まだ今ほど売れる前の(というより無名に近かった)ニコラス・ケイジが、恋人に「私は子どもの頃から『KOOL』を吸ってるけど、あなたは?」と訊かれて、とびきりカッコつけてこたえるダサいセリフ。

「俺は四つの頃からマルボロさ。」

2014年4月18日。午後8時00分。すこし冷える春の書斎にて。今度ちゃんと禁煙の話を書こうかな。

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